筑紫女学園報/2010年(平成22年)2月5日発行 No70
Chikushi Jogakuen Online Report
 
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こころの時代に 6
泳ぎを止めて気づくこと 本学園中学校副校長 永安 道一
変化のない毎日が続く二週間の入院
昨年の10月半ばに体調を崩して、二週間天神のS病院に入院した。30年ほど本学園に勤務しているが、初めての経験だった。最初は10階にある20人ほどが収容されている大部屋に入ったが、ベッドに縛り付けられたまま注射と点滴と投薬の治療が続くだけだった。その他には、毎日リハビリが施された。体力維持を目的とした脚の屈伸運動、指先の巧緻性を回復する運動、それと発声練習だった。そして、たまに担当の医者が若い医者や看護婦を引き連れて回診するのみで、何の変化もない毎日が流れていった。
泳ぎ続ける「回遊魚」のように
一週間ほど経って、他の部屋に移ることになった。そこは、同じ階の前よりも小さな部屋で、同じ60歳近くの年齢、同じ病気の患者が三人収容されていた。そして、自分と同じように点滴の器具を引きずりながら無表情に病院内を歩き回っていた。
   それまでは、二〜三週間入院でもして、ゆっくりと「人生・行く末」を考えてみたいなどと漠然と考えていた。だが、入院して初めて、所詮自分は「回遊魚」なのだと実感した。「回遊魚」とは、群れをなして季節的に移動する魚で、泳ぎを止めると死んでしまうのだそうだ。天神の真ん中の大水槽の中で、何日か泳ぎを止めて静かに自分の心を見つめて考えるはずだったものが、次々と退院していく同室の患者の姿を目にするたびに、焦りと羨ましい気持ちを抑えることができず、むやみに病院内を歩き回っていた。
   もし、自分がもっと若かったら、恐らくこれからの人生について色々と考えていたことだろう。しかし、現実には退院することばかりを考え、結局「人生・行く末」について考えることはできなかった。
   退院の日、主治医の先生から「あなたの人生だから、あれこれとは言わないけれども、酒、煙草は止めなさい」との言葉を貰い、職場に復帰した。今や、口の回りにくいのだけが唯一の痕跡で、時折、思い出したように発声練習をするぐらいだ。数ヵ月もすれば、入院のことなどすっかり忘れてしまうのだろう。そして、目先の事に心奪われ、日常の中を相も変わらず「群れ」をなして泳ぎ続けていくことだろう。しかし、それでいいのだと今は考えている。


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