 |
 |
皆さんは、人生のパートナーをどのように見ておられますか。日常を共にする関係には、困難が伴うものですよね。浄土真宗のことを在家仏教ともいいます。親鸞聖人は、いわゆる“肉食妻帯”をなさり、すべての人々の救いを、人々と同様の生活を送るなかで証し立てられ、恵信尼公と共なる人生を歩まれました。では、親鸞聖人と恵信尼公はどのような関係を築かれていたのでしょうか。
比叡山を降りられた親鸞聖人は、六角堂で救世観音からの夢告をいただかれました。
行者宿報設女犯
我成玉女身被犯
一生之間能荘厳
臨終引導生極楽
『御伝鈔』(註釈版一〇四四頁)
〈訳〉行者(=親鸞聖人)が、もしこれまでの行為の積み重ねによって、女性と結ばれることがあったならば、私(=救世観音)が美しい女性となって現われ、結ばれましょう。そして、一生の間、あなたの生活を整えて、命終わる時には、あなたを導いて浄土に生まれさせましょう。
この後、法然聖人のもとをお訪ねになられた親鸞聖人は、そこで恵信尼公と出遇われ、ご結婚なさいます。まさに、救世観音が親鸞聖人の前に恵信尼公となって現われてくださったのです。 |
 |
 |
恵信尼公は、親鸞聖人がご往生なさった後、末娘の覚信尼公に宛ててお手紙を認められ、「さかいの郷」でみた夢のことを記されています。
「あれは観音にてわたらせたまふぞかし。あれこそ善信の御房よ」と申すとおぼえて、うちおどろきて候ひしにこそ、夢にて候ひけりとは思ひて候ひしか。さは候へども、さやうのことをば人にも申さぬときき候ひしうへ、尼がさやうのこと申し候ふらんは、げにげにしく人も思ふまじく候へば、てんせい、人にも申さで、(中略)心ばかりはそののちうちまかせては思ひまゐらせず候ひしなり。
『恵信尼消息』(註釈版八一二頁)
〈訳〉「あれは観音菩薩です。まさしく善信房(=親鸞聖人)なのです」というのを聞きました。その時はっと目が覚めて、夢であったとわかったのです。けれども、こんなことは人に話すものではないと聞いていましたし、わたし(=恵信尼公)がそのようなことをいったところで、人は本当のことだと思うはずがないので、まったく人にもいわないで、(中略)その後は心の中で、聖人を普通の人と思わずに過ごしてきました。
|
 |
親鸞聖人にはそれと告げず、観音と慕い続けた恵信尼公。この二つの史料からは、生涯を共にされたお二人が、お互いを慈悲の象徴である観音と仰がれていたことが知られます。
比較すること自体誤りなのでしょうが、私などは、互いが互いにとって都合のいい存在であれば、あるいはせいぜい家族ぐらいは大事にしたいと思う程度です。隣人の嘆きにさえ耳をふさぎ、人々の悲しみには目をつむり、苦しみは置き去りにして、時には連れ合いをも利用して、その日その日をおもしろおかしく生きようとする私がここにいます。
しかし、親鸞聖人と恵信尼公は違います。それはきっとお二人が阿弥陀仏の本願をわが願いとして生きられたからではないでしょうか。夫婦や家族の、いわば閉じた幸せではなく、すべてのものの救いを願いながら、懸命に生き抜かれたお二人であったからこそ、お互いを観音とみることが出来たのではないでしょうか。
お二人のようであれたなら、と思うのですが、皆さんはいかがでしょうか。 |
|
 |

|
本学短期大学部・現代教養学科
准教授
栗山 俊之
|
浄土真宗本願寺派覚永寺住職。著書『戦時教学と真宗』第二巻(永田文昌堂)。論文「平和の教学に向けて」「真俗二諦の成立」など |
|
|