筑紫女学園報/2009年(平成21年)1月30日発行 No67
Chikushi Jogakuen Online Report
 
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法海
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法海

「真の親様」 子が成長していくためには、親となる存在が必要です。また、私たちがその一生を力強く
伸びやかに過ごしていくためには、慈悲の眼差しで私たちを見守ってくださる「真の親様」が
必要と言えるでしょう。今回は、その「真の親様」がどのような存在なのかを伺ってまいります。
猫の親子から感じる無私なる慈愛
突然ですが、私は猫好きです。家にやってくる野良猫にエサをあげてなつかせようとしています。努力の甲斐あって、足にすり寄ってくるまでになりました。遠くにいても、私が家に帰ってくると走って寄ってきます。
   その野良猫が今年5月ぐらいに子猫を生み、お寺の境内に連れてきました。今ではその子猫も境内を住み処としています。
   猫好きにとって子猫はたまりません。ついふらふらと子猫の方へ寄っていってしまいます。そうすると母猫が行く手に立ちふさがり通せんぼするのです。私の家の飼い猫がそばに寄っていっても、威嚇して追い払おうとします。
   そうこうしているうちに、6月になり、私の家の猫が子猫を生みました。子猫の目が開いていない時には、母猫は子猫のそばを離れようとしません。
   しばらく経つと子猫の目が開きました。母猫は子猫のそばを離れるようになりましたが、決して遠くには行くことはありません。子猫可愛さに、私が自分の手のひらや太ももの上に子猫を乗せたりすると、子猫は大きな声で鳴きます。それを聞きつけた母猫は、大急ぎで子猫のそばに駆け戻ってきます。そして、いつまでも子猫を抱いている私のそばを離れようとしません。子猫を箱の中におろすと、子猫のそばに寄っていって、まるで子猫を落ち着かせるように子猫を舐めるのです。
   母猫がいつでもそばにいる、いつでも見守ってくれるという安心感があるからでしょうか、子猫は日に日に元気な姿で成長していきます。子猫は、母猫の心配を知ってか知らずか、行動範囲を広げ、箱の外に出て遊びはじめます。そして母猫の行動を見ながら大きくなっていくのです。この子猫たちもやがては大きくなり、母猫と同じように狩りを覚え、いつか親猫となり、子猫を生み育てていくのでしょう。
私たちが今を精一杯生きられるのは…?
私たちが親と言えば、どんな時にも子どもを守り、子どもがすねても反抗しても、それでも見守ってくれる存在です。そして、時には子どもを守るために罪を犯すこともあります。子どもにとって、こんなにありがたい、尊い存在はありません。しかしながら、人の親が守るのは自分の子どもに限られているのではないでしょうか?
   私たちには、人としての両親以外にも真の親様がいます。その親こそ阿弥陀様です。阿弥陀様は、いつでも、どこでも、どんなときにでも私たちを見守ってくださいます。そこには誰であろうと分け隔てはありません。言ってみれば、私たちはみんな阿弥陀様の子どもなのです。阿弥陀様は、私たちにお金を与えてくれたり、飴玉を与えてくれるわけではありません。私たちが悩み苦しんでいるとき、代わってくれるわけでもありません。しかしながら、「あなたは一人ではないよ、いつでもここで見守っているよ」と、私たちに絶対安心の世界を与えてくださいます。
   親の背中に背負われている赤ちゃんは、時に背中で手足をばたつかせ、時に飛び上がり、時に反り返り、時に眠ります。なぜそんなことができるのか。親が絶対に離さないという絶対安心の世界がそうさせているのではないでしょうか。

   「あれごらん 親に抱かれて寝る赤児 落ちる落ちぬの 心配はなし」
   (大乗刊行会編『珠玉のことば』稲垣瑞剱氏)

   私たちは、常に阿弥陀様に見守られ、抱かれて生きています。だからこそ、私たちは安心して、今を精一杯生きることができるのではないでしょうか。
親の愛こそ、子が伸びやかに育つ最高の力。
本学園高等学校教諭 戸田 証
執筆者プロフィール

本学園高等学校教諭

小山 了智

1998年、龍谷大学文学部真宗学科卒業。塾講師を経て、2005年に本学園高等学校非常勤講師、2009年より本学園高等学校教諭として奉職。。

※「法海」とは、仏法の広大なことを海にたとえている言葉です。

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