筑紫女学園報/2009年(平成21年)1月30日発行 No67
Chikushi Jogakuen Online Report
 
学園報トップに戻る

大学・短期大学部トピックス
高等学校・中学校トピックス
幼稚園トピックス
法海
連載企画
ご意見・ご感想

法海

「共生(ともにいきる)」目の前で困った人を見かけた時、あなたならどうしますか? 今回は勇気をもって、ある行動を起こした小学5年生の女の子のエピソードから、「慈悲のこころ」、そして「共生(ともにいきる)」ということについて学んでいきます。
友だちに水をかけたA子さんの真意とは?
   皆さんは、次のような実話を知っていますか?
   とある小学校の五年生の教室です。授業は国語の時間で、担当の先生が児童の皆に作文を書かせていたそうです。当然教室は静まりかえっています。と、突然、一人の女子児童A子が立ち上がって、教壇に向かって来ました。そして来るや否や、「先生、お花の水を換えてきます」と言って教壇の端にあった花と水の入った花瓶を抱えて行きます。先生は呆気に取られてA子を制止できませんでした。他の児童もポカンとして行方を見守っていると、花瓶を抱えたA子が突然ころんでしまったのです。何かにつまづいたのでしょうか、花瓶は割れ、側にいた児童B子のスカートに水がかかってしまいました。A子は「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返し謝っています。先生は「どうして急に花の水を換えに行くの。だからこんな風になったでしょう」と怒っています。他の児童も「あーあ」とか「何してんの」と揶揄しています。A子は濡れたB子にハンカチを渡し、掃除道具入れに行き、雑巾で床を拭いたのでした。
    ひと段落して、先生が、B子を保健室に連れて行き、着替えさせています。先生が「A子さんもおっちょこちょいねぇー」と言っていると、B子が、顔を真っ赤にして「先生、違うんです。A子さんは、わざとやったんです」と言いました。「えっ?」と先生が言いました。
    理由はこうでした。授業中A子が作文に詰まって下を向いていると、前に座っているB子の様子がおかしいことに気づいたのです。そわそわ、もじもじしています。そしてB子の椅子の足から水が流れていたのを見たのです。
「B子がお漏らししている。何とかしなければ皆から笑いものにされる…」
   そう思ったA子のとっさに取った行動が「わざと」水をかける行為だったのです。
   仏教の「慈悲」とは、楽を与えることを「慈」といい、苦を抜くことを「悲」といいます。「抜苦与楽」(ばっくよらく)です。また、その語源を調べると、「友だちの呻き声を聞く」という意味があります。A子さんの行動は、B子さんの呻き声を聞いた、まさに「慈悲」の行動だったと言えるでしょう。

一人ひとりの「小さなぬくもり」を大切に
   さて、今の私たちの世の中はどうでしょう。物質や情報に溢れ、便利で豊かになりました。しかし、その中で人々は「自己中心的」になり、「おもしろおかしく生きていければそれでよい」から、他者や周りを観る想像力を失っているのではないでしょうか。人をだまして金を奪う「オレオレ詐欺」や、集団で人の心を傷つける「いじめ」が後を絶ちません。また、公共の乗り物の中で大声で話したり、携帯電話を使用する。そんなことも日常になってはいないでしょうか。
   「共生(ともにいきる)」とは、他者の喜びや痛み、悲しみに共感し、「私もまた同じですよ」というところから出発しなければならないと思います。一人ひとりが「小さなぬくもり」を大切にし、少しずつそれを育てていくことができれば、本当の意味で豊かな社会になっていくのではないでしょうか。

本学園高等学校教諭 戸田 証
執筆者プロフィール

本学園高等学校教諭

栗山 宏之

1987年、龍谷大学文学部史学科卒業。同年、筑紫女学園中学校に奉職。2004年、同高校へ。現在にいたる。

※「法海」とは、仏法の広大なことを海にたとえている言葉です。

▲PAGE TOPへ


Copyright 2002 Chikushi Jogakuen