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法海
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法海

 

「調和のとれた音声が伝えるもの」
勤行(おつとめ)が響く厳かな雰囲気の中で
 本学園中学・高等学校では、各学年で毎週一回「朝の勤行(おつとめ)」を行い、毎月一回「感謝日(宗祖月忌法要)」の勤行を行っています。
 「朝の勤行」は、“今日一日を恵まれたことに感謝し、み仏の徳を讃え、そのみ教えを聞き、心を新たにして一日を送る”ためのお勤めであり、「感謝日」は、“親鸞聖人の御命日にちなみ、そのみ徳をしたうと共に、私達を正しく導いてくださる御恩に感謝する日”としてお勤めを行っています。
 勤行は、各クラスより四名が調声(ちょうしょう)を勤め、合掌礼拝、聖歌(真宗宗歌)・勤行(朝の勤行は『重誓偈』(じゅうせいげ)/感謝日は『讃仏偈』(さんぶつげ))、聖歌(恩徳讃)(おんどくさん)、法話、合掌礼拝の差定(さじょう)(式次第)で行っています。勤行が始まる前には全員が黙想をして、心を静かに落ち着かせます。その静かな雰囲気の中、オルガンの伴奏に合わせて響き渡る生徒達の歌声やお勤めの声は、とても清々しく、講堂中が何とも言えない厳かな空間になります。

個性が響きあって一つのメロディーに
   親鸞聖人は、『浄土和讃』「讃弥陀偈讃」(さんみだげさん)(『註釈版聖典』五六三頁)の中で、 「清風宝樹(しょうふうほうじゅ)をふくときは いつつの音声(おんじょう)いだしつつ 宮商和(きゅうしょうわ)して自然(じねん)なり 清浄薫(しょうじょうくん)を礼(らい)すべし」 とお示し下さっています。このご和讃は、阿弥陀如来の本願によって成就された浄土の世界に響き渡る美しい音色を讃えられたもので、「七種の宝石で輝く浄土の樹々(きぎ)の林を、清らかな風がそよぐとき、高さの異なった五つの音階が流れ出て、その音色が自然に響き合って妙なる和音を奏でている」と、解説されています。
 「いつつの音声」とは、東洋音楽の宮・商・角・徴・羽(きゅう・しょう・かく・ち・う)の五つの音階で、それらの音は本来互いにぶつかり合い共鳴することがないのに、この浄土においては互いに協和して自然(じねん)に響き合い和音を奏でているといわれています。
 そして、それぞれ違った個性をもった生徒達の調和のとれた歌声が、ひとつのメロディーとして自然に奏でられている様子は、まるでこのご和讃に示されている浄土の音声を表しているようです。

『縁起』の法則によって気づかせていただくこと本学・仏教専修課程における講義「勤式作法」の様子。
 今、私たちを取り巻く社会で大きく取り上げられている地球環境問題を考えてみると、そこに見えてくることは関係性を失った人間社会の姿であるといえるでしょう。
 私たち人間は、自然との関わりの中で生かされ、自然の法則の中の一部として他の動植物と共に生きてきました。その中で、自然の恵みを受けながら人類は今日の発展を遂げてきたのですが、一方で、自らの幸せや豊かさを追求するあまり、地球資源が無尽蔵にあるかのように錯覚をし、私たちの生命(いのち)も本来自然と深い関係の中で生かされてあることを忘れ、自然との調和を破壊してきました。
 このような私たち人間の姿は仏教のことばで、「顛倒」(てんどう)といわれます。顛倒とは、「(正しい見方・あり方の)反対であること。われわれの迷っている見方・あり方をいう。さかさまな考え方・誤った考え方」(『広説仏教語大事典』中村元著)という意味です。
 それでは、本来人間のあるべき姿とは一体どういうものでしょうか。それは、私たち一人ひとりの生命が様々な自然の生命との関係性の中で、生かされてきたことに気づき、感謝のうちに生きていくことです。そして、そのすべてのものが関係性の中にあることを示されたのが、釈尊がお覚りになられた「縁起」の法則です。
 私たちは、自然だけではなくすべてのものとの関係性の中で生かされ生きています。私たちを取り巻く様々な社会問題は、まずこの関係性への気づきが問題解決の第一歩となるのではないでしょうか。
 
本学園中学校教諭 平 孔龍
執筆者プロフィール

本学園中学校教諭

平 孔龍

平成17年3月龍谷大学大学院文学研究科博士課程修了・真宗学専攻。平成17年4月本学園高等学校常勤講師就任。平成18年4月より本学園中学校教諭。

※「法海」とは、仏法の広大なことを海にたとえている言葉です。

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