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![]() 私たちがいつも礼拝に用いる『聖典』には、冒頭に三帰依文が掲げられています。三帰依とは、「ブッダ(仏陀=目覚めた人)とダンマ(法=ブッダによって説かれた真理)とサンガ(僧=真理を学ぶ人々の集い)を依り所として生きて行く」という意味で、この仏・法・僧の三宝に対する帰依を表明することは、初期の仏教教団以来、伝統的な入門の儀式として受け継がれてきたものです。 そして、この三帰依の前に「人身受け難し」という言葉が置かれているのは、人間であることの意味を問いかけることが、仏教を学ぶということにほかならないと示しているのです。釈尊の言葉を記した初期の経典『ダンマパダ(法句経)』には、次のように説かれています。 人間の身を受けることは難しい。死すべき人々に寿命があるのも難しい。正しい教えを聞くのも難しい。もろもろのみ仏の出現したもうことも難しい。(中村元訳『ブッダの真理のことば・感興のことば』岩波文庫) こうした姿勢は、そのまま大乗仏教にも受け継がれています。 寿命はなはだ得がたく、仏世また値ひがたし。人信慧あること難し。もし〔法を〕聞かば精進して求めよ。(『仏説無量寿経』) |
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![]() 人間に生まれることが難しいという考えは、決して人間が他の生物に比べて無条件にすぐれているという意味ではありません。人間も他の生き物も、真理に目覚めない限り迷いの存在であることに変わりはないのです。しかし、すべての生きとし生けるものの中で、迷いの存在であることを自覚し、そこから解脱する道を求める機会が与えられているところに、人間に生まれた意味があると言うのです。 35歳の時、ブッダガヤの菩提樹の下でさとりを開いた釈尊は、仏陀(目覚めた人)と呼ばれるようになりました。その目覚めの内容を語ったものが仏教であり、弟子たちは釈尊の説法を聞くことによって、同じ目覚めの経験を共有する身となったのです。 釈尊がサールナートにおいて行った最初の説法の時、これを聞いた5人の弟子たちは、歓喜してその教えを信受し、執着と煩悩を克服して真理を見る眼を得ることができました。経典には、「その時、世間に阿羅漢は6人となった」と伝えられています。阿羅漢とは、すぐれた境地に達した人を意味する言葉ですが、一人の仏陀と5人の阿羅漢ではなく、6人の阿羅漢と言われるのは、仏陀の目覚めと弟子たちの目覚めが同質の経験であったことを示すものでしょう。 |
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![]() ![]() 釈尊によって証せられたさとりは、特定の人にだけ許される神秘的なものではなく、「現に証せられるもの」であり、「時を隔てぬもの」であり、「来たれ、見よ」と言われるものであるという表現は、一種の定型句として初期仏教経典に繰り返し説かれています。真理(法)は、万人に開かれたものとして理解されていたのです。 そう考えれば、仏教とは、超越した何者かに向って祈ったり、すがったりする教えではなく、自ら目覚めた者(仏陀)に成ろうという道であることが明らかでしょう。金子大榮先生は、「人が人と生まれた意味に目覚め、人としての道を歩み、まことの人となることを、仏に成るという」と教えてくださいました。迷える人間が、同時に仏と成るべき人間であったことにめぐりあえてこそ、人間に生まれた甲斐があるというものでしょう。 |
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※「法海」とは、仏法の広大なことを海にたとえている言葉です。 |
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