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創立百周年を前に本学園の歩みをご紹介してきたこのコーナーも、ついに最終回を迎えました。 そこで今回は特に、大きな節目となった出来事を中心に、創立から今日までを振り返ります。 |
![]() ![]() 開校の半年後には英語授業がスタートし、大正8年(1919年)には定員を大幅に増やすなど、女子の学ぶ意欲に応える体制が整えられていく中、設備や環境面の整備も着々と進んでいきました。また、良妻賢母を育むバラエティ豊かな授業が展開される一方、部活動にも熱が入り始め、「文武両道の筑紫」の基礎が固まっていきました。 ところが、日本は昭和16年(1941年)に太平洋戦争へと突入し、疎開や学徒勤労令などによって学内にも戦争の色が濃く漂い始めます。しかし女子教育への光が消えたわけではありません。昭和20年(1945年)に終戦を迎えると、生徒たちが戻った教室では、直ちに授業が再開されました。 ![]() 昭和21年(1946年)に水月文英先生が二代目校長に就任し、戦後の復興に向けて大きく変わり行く世の中とともに、学園は新しい時代を迎えていきます。翌年から昭和47年(1972年)までは学園の拡大期ともいえるでしょう。この間に新制中学校、新制高等学校、短期大学、幼稚園を開設しました。背泳で世界記録を樹立した田中聡子さんがローマオリンピックで銅メダルを獲得し、「水泳王国筑紫女学園」の名が高まる中、学園が大学進学に力を入れ始めたのもこの頃です。 さらに戦後の大きな変化として挙げられるのは、私立学校に対して宗教教育の自由が与えられるようになったことをうけ、校訓を「自律・和平・感恩」に変更したことです。教科にも宗教科を置き、宗教教育に力を注ぐようになりました。 その後、昭和50年(1975年)に短期大学が高宮から太宰府キャンパスへ移転し、中学・高等学校も設備を更に充実させるなど、より良好な学習環境が整備されていきました。 ![]() そして迎えた昭和63年(1988年)、学園は総合学園への新たな一歩を踏み出しました。創立80周年を機に4年制大学(文学部日本語・日本文学科、英語学科)が開学したのです。そして、イギリス・ソルフォード大学への留学など国際交流への本格的な取り組みも始まりました。 平成になって以降の学園は、総合学園として各校の充実と新たな展開を図ってきました。平成3年、女子第3回全国高校駅伝競走大会における初優勝の喜びに沸く中で、本格的にスタートした中高一貫教育もその1つ。大学では平成11年に教育研究の更なる充実と文学部の新たな展開を求めて「アジア文化学科」と「人間福祉学科」を設置しました。また平成14年には「発達臨床心理学科」を、平成17年には「英語メディア学科」を設置し、学科の拡充を続けてきました。短期大学は平成17年に短期大学部へと名称を変更し、「現代教養学科」を設置しました。 さらに平成16年には、地域貢献事業として「みんな塾」を開設。長年女子教育に携わってきた本学園の特質を活かし、地域の女性たちに対して様々な支援を行なっています。 百周年が目前となった今、警固キャンパスには中高新校舎が完成し、太宰府キャンパスでは大学新構想のもと、来る4月には大学院を新設することになりました。総合学園としての形が完成したこれからは、また、学園の新たな歴史が始まります。
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