筑紫女学園報No47 6月1日発行
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「梅原猛の授業 仏教」

 今年度から中学・高等学校では、朝のホームルーム前の10分間を使い、「朝の読書」を実施しています。この時間は、生徒諸君にとって有意義な時間となっているようです。もちろん私どもも読書をする訳ですが、この中で最近読んだ本が、今回ご紹介する『梅原猛の授業 仏教』です。

「梅原猛の授業 仏教」 梅原先生は、この本の中で「現在日本の恐るべきことは、公立学校で宗教教育、さらには宗教に基づいた道徳教育を行っていないところにある」と指摘されています。この一冊には、京都にある洛南高等学校附属中学校で、生徒を相手に宗教教育や宗教教育に基づく道徳教育の基礎となる仏教の授業をやさしく展開された内容が、中学生に理解できるようにとの願いから、簡潔明瞭にまとめられています。

 この本の最後の章(この中学校での最後の授業)「第十二時限 いまこそ仏教が求められている」では、「異母兄弟である一神教同士が対立」とキリスト教とイスラム教とのことが記され、さらに最後のまとめとして「世界は多を含むことによってすばらしい」と題されています。これは浄土真宗の根本経典である浄土三部経の一つ『仏説阿弥陀経』に説かれている「池中蓮華、大如車輪、青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光、微妙香潔(池の中には車輪のように大きな蓮の花があって、青い花は青い光を、黄色い花は黄色い光を、赤い花は赤い光を、白い花は白い光を放ち、いずれも美しく、その香りは気高く清らかである)」という心と同じではないでしょうか。

 様々な問題を抱えた現代社会の中で、この”他を認め合う心“こそ”多を含む“ことを可能とするものであり、この心こそ、これから必要とされる心であると、仏説阿弥陀経の中で釈尊も、そしてこの本の中で梅原先生もおっしゃっているのではないでしょうか。最後に、竹下哲先生の言葉を紹介しまして、筆を置きたいと思います。

 
 パーリ語の「パンニャー」の訳語で、「般若」とも音訳される。仏教は「智慧と慈悲の宗教」と言われるが、仏教で言う智慧とは知識ではなく、人間の真実に目覚め、迷いを断ち切り「さとり」を証する力である。我々は智慧がない(無明)が故に迷い苦しむのである。
 親鸞聖人は、南無阿弥陀仏を「悪を転じて徳を成す正智」(『教行信証』)と言われている。
※「法海」とは、仏法の広大なことを海にたとえている言葉です。
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