筑紫女学園報No47 6月1日発行
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百年の飛翔を訪ねて - 第四回 - 昭和中期1946年〜1951年
本年度の「百年の飛翔を訪ねて」では、 1946年(昭和21年)から短期大学が創立される前年である 1964年(昭和39年)までを3回にわたって振り返ります。
今回は本学園が新制中学校、新制高等学校へと生まれ変わった、 昭和21年から26年までを紹介します。

「筑紫女学園中学校」「筑紫女学園高等学校」に校名変更。

水月文英 校長 第2次世界大戦直後の昭和21年、創立者水月哲英が病気のため校長を勇退し、副校長の水月文英が第二代校長に就任。疎開のために充分な授業が実現できなかった頃に比べ、次第に授業も軌道に乗り、落ち着いた学園生活を取り戻し始めた頃のことでした。翌年22年4月には、学制改革によって新制中学校を開校、同年5月には創立40周年記念式典を挙行しました。そして、23年4月には新制高等学校を開校しました。昭和26年3月、学校法人筑紫女学園の設立認可を受け、「筑紫女学園高等学校」「筑紫女学園中学校」と名称を変更しました。昭和21年から25年頃までは、戦後の復興に向けて世の中が大きく変わった時期で、本校も大きく生まれ変わった転換期でもありました。

進学に対する生徒の意識が向上。進学校としての地位を築き始める。

  創立当初から本校では「淑良なる女子」の育成に力を注いでいましたが、終戦後は更に生徒の進学に対する意識が向上し、学校としても大学進学に力を入れ始めました。ちょうどこの頃は新制大学もできた時期で、本校においても国公立大学に進学する生徒数が年々増えていきました。

新しい校訓。「自律・和平・感恩」の誕生。

 終戦後、私立学校に対して大幅な自由が与えられ、特に宗教教育の自由を得たことは画期的なことでした。まず、創立以来掲げていた「品性・勤労・質素」の校訓を、建学の精神を表面に打ち出した「自律・和平・感恩」に変更しました。また、教科にも高等学校・中学校に宗教科を置き、それぞれ週2時間・1時間の授業を行い、宗教教育に力を注ぐようになりました。
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