百年の飛翔を訪ねて
第1回【明治期/1907年〜1912年】
本学園は、2007年に創立100周年を迎えます。そこでこのコーナーでは、本学園が歩んできた長い道のりを より多くの方々に知っていただきたいと思い、シリーズで振り返ります。 記念すべき第1回は学園創立当時の様子です。



 本学園の創設者 水月哲英は明治34年、浄土真宗本願寺派北米開教区第二代総長として米国仏教会に駐在した際、アメリカにおける女性の社会的地位の高さに驚き、その主因が女子教育の進歩にあることを知りました。帰国後、自らの使命は日本の女子教育にあると考え、関係寺院等に女学校設立の必要を説き、福岡県筑紫郡警固村にあった本願寺立仏教中学の跡地を受け継ぎました。
 昭和10年に執筆された回想録には、「私の将来の事業は日本女子教育にあると、心中ひそかに期するところありました」と自らの強い意志が記されています。

明治40年(1907年)、 私立筑紫高等女学校が 誕生。

 その後、女学校にふさわしい設備を整え、明治40年4月11日、筑紫女学校(各種学校)を創設しました。さらに文部省に申請していた私立筑紫高等女学校の設立が認可されたのを受けて、在校生に高等女学校の入学試験を実施。139名の生徒を得、明治40年5月13日に「私立筑紫高等女学校」として開校しました。
 この当時県下の高等女学校は、久留米・福岡・小倉・柳河に4校あるばかりでした。
 6月13日には精華会(同窓会)の発会式を挙げ、10月30日には開校式を挙行。校訓として「品性・勤労・質素」の3徳目を定めました。明治42年3月には、卒業生45名に第1回卒業式を挙行、また設備面でも、明治41年に音楽室・体操教室を新設、同44年には作法裁縫室・割烹室等が完成するなど、学園の基礎確立は着実に進んでいきました。