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法海
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法海

 

「仏教・浄土真宗と私たちの歩み」(仏教史・浄土真宗史)

世界と日本の現状から「いのち」と「こころ」の関係改めて考える

 私は寺院に生まれ、仏教・浄土真宗に触れながら育ちました。大学でもその教えを、学びましたが、学べば学ぶほど”本来の仏教・浄土真宗”と”現実の私や寺院の姿”とが懸け離れていることに気づかされます。思い悩むうちに、具体的な人間の営みとのかかわりの中で仏教・浄土真宗を見つめ直してみようと考え、大学院に進みました。鎌倉時代の人びとは何故、親鸞聖人の教えに帰依したのか。幕藩体制下、身分制社会の中で本願寺教団はどのようにあったか。近代の対外諸戦争において、何を説いたか。戦後、人権をとりまく諸問題にどのようにかかわってきたか、など。以来現在まで、仏教・浄土真宗を具体的な人間のありようとの関係において捉えようという研究視角だけは失わずにきたつもりです。
 今回はそのような私なりの視座から、現代の私たちの姿を見てみたいと思います。

平和な世の中の実現を目指し、今こそ苦しみを共有し行動する仏教へ

 意識的にであれ無意識のうちであれ、私たちは今、煩悩をむきだしにして顧みない、そのような人として、そのような時代を生きているように思われます。

「人見受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。この身今生に向って度せずんば、さらにいずれの生に向ってか、この身を度せん」(三帰依文)

人間は真実に向かって歩むことの出来る存在である、と仏教は説きます。とともに、親鸞聖人は次のように仰っています。

「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」(歎異抄)

 真実に向かって歩むことのできる人間、そしてしかるべき縁がはたらけばどのような行いもする人間。二つのことのようでもあるそれらは、決して別々のことではありません。真実に生きようとすればする程、そのように生きえない自己の姿が明らかになります。自己の罪悪性が浮き彫りになることによって、ますます真実なる生き方を願うのでしょう。けれども、自らの中に抜き難く巣喰う煩悩、そしてそれに起因する現代社会が抱え込むさまざまな問題群、私たちはそれらに向き合おうとすることすらしなくなって既に久しいのではないでしょうか。
 おもしろおかしくその日その日過ごせればいい。これが今の私たちの生き方ではないでしょうか。私たちはそうした生き方の是非を問おうともしません。かくして社会は着実に蝕まれていきます。
 これまでの私たちは、日々のおもしろおかしさを手に入れるために、便利で豊かな生活を求めてきました。そのことによって、人生の生存を継続させるための一手段にすぎない経済活動は、今やそれ自体が目的でもあるように錯覚され、人間生活の実態と遊離したゲームと化しています。”いのち”すら商品化され、例えば”福祉”も利潤追求のターゲットとなりました。人間の尊厳は失われ、軽い”いのち”は、外に向かっては何か痛みも伴うことなく他者の”いのち”を傷つける行為となり、内に向かっては自殺やリストカットとなって現れています。考えてみてください。おもしろおかしい日々をいくら積み重ねてみても、充実した人生、かけがえのない”いのち”を生きられるはずはありません。私たちは、私たちが求め、手に入れてきたものと引き替えに、かけがえのないものを失っていったのではないでしょうか。



 この社会で流行っている宗教について思いを巡らせてください。商売繁盛、無病息災、受験合格、交通安全、縁結びに縁切り・・・・・・、あれがほしい、こうありたい。おもしろおかしい日々を後押しする宗教ばかりのように見えます。欲望の数だけ神があり、その充足を願うばかりで、自己やこの社会のありようを問おうともしません。今、真実を希求し、あるべき姿に立とうとして、そこから自己やこの社会を問い続けようとする宗教は、消えつつあるようです。
 私の、この社会の闇は深いといえます。真実に向かって歩むことが出来る存在として、私たちはまず、その闇の深さをしることからはじめなければなりません。そうすれば、それをなんとかしたいと思うはずです。飽くことなく繰り返される戦争、私たちの病みとしての水俣病やハンセン病の問題、在日北朝鮮・韓国人差別や部落差別などなど。そして私の日常。闇の深さに向き合う契機には、事欠かないのですから。

今回のKeyWord

ぼんのう 心身を煩わせ、悩まし、乱し、正しい判断をさまたげる心のはたらき。
親鸞聖人は「煩はみをわづらはす、悩はこころをなやます」と仰っている。


本学短期大学部現代教養学科助教授 栗山俊之

浄土真宗本願寺派覚永寺住職。著書「戦時教学と真宗」第二巻(永田文昌堂)。論文「平和の教学に向けて」「真俗二諦の成立」など。


※「法海」とは、仏法の広大なことを海にたとえている言葉です。

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