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百年の飛翔を訪ねて - 第11回 - 昭和後期1979年〜1983年
今回の「百年の飛翔を訪ねて」では、1979年(昭和54年)から
1983年(昭和58年)までをご紹介します。
この間は、施設の充実を図るとともに、本学園が今日へと続く
さまざま活動にも更に力を注ぎはじめた時期でした。

阿蘇研修センター「光雲荘」が完成

 昭和54年、高等学校水泳部が通算6度目のインターハイ優勝を飾る中、水泳部員の寄宿舎「紫水寮」が取り壊されることになりました。この寮は昭和35年6月に水月文英校長が自書の寮名札を掲げたことに始まるもの。永年、オリンピック出場や好記録に輝く選手たちの生活を見守り続けてきましたが、老朽化によってその役目を終えました。
  一方、翌年7月には学園に新たな施設が誕生します。学生・生徒の研修および教職員とその家族、卒業生などの福利厚生を図るため、熊本県阿蘇ハイランド内に「光雲荘」が落成しました。宿泊施設や教室、礼拝堂などを備え、今日も様々な用途に適した魅力あふれる施設として利用されています。

マザー・テレサが本学園を訪問
 昭和56年には、中・高の教職員数名が仏跡巡拝旅行員としてインドを訪問。ノーベル平和賞受賞者であり、宗教家として世界的に人類救済活動で知られるマザー・テレサへ、生徒が集めた慰問品と献金を手渡すことができました。その時、一行は翌年マザーが来日されることを知り、再会を期待しながら帰国の途につきました。
  そして、翌57年4月初旬、日本へマザーテレサを招いたファミリーライフ協会からマザーが長崎の次に福岡へ立寄られるとの電話が入りました。「福岡には会いたい人がいるから」という自らの意向で4月27日に本学園を訪問され、2千余名の生徒たちに迎えられました。
  講堂のステージ上で阿弥陀様に一礼された後、彼女は、集まった教職員と生徒たちに力強く語りかけられています。「愛は言葉ではありません。愛は与えることです」と。その温かい笑顔と真の言葉に全員が深い感銘を覚えたことは言うまでもありません。

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