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法海
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法海

 

「宗教の共存/浄土真宗とキリスト教との対話」

こころの依り処を求める現代人と伝統的宗教の課題

 宗教に端を発した争いが続く今日、「宗教など無いほうがいいのでは」という声も聞かれます。でも、それは正しいのでしょうか。
 振り返ってみると、50年程前から社会の世俗化が問題視されるようになり、その中で伝統的宗教に対する信頼や権威は失墜していきました。「天にまします我らが神よ」と空を仰いでも、都会では星さえ見えません。しかし、地球規模で人や情報が行き交うボーダレスな時代にあって、人々は自分が何者であるかというアイデンティティを喪失し、それに伴う不安を乗り越えるものとして宗教を求めています。新宗教の台頭は、その希求に応えられない部分が生じてしまった伝統的宗教への失望も一因といえるでしょう。

キリスト教は俳他主義から包括主義、多元主義へ

 伝統的キリスト教は、全能神が全ての存在を創造し、神の言葉として世に遣わされたイエス・キリストの受肉と贖いによって救済が成り立つとしています。この考えに基づけば、世界中の人がキリスト教徒になって初めて人類は救われることとなり、キリスト教は19世紀まで世界布教に傾注します。しかし、布教活動は国家の植民地主義を手助けする結果を招き、その反省から「第2バチカン公会議」を機に、他教の中にも真理を認める大転換が行われました。その後、他を邪教とする排他主義から、他教をキリスト教の一部として内包する包括主義、また対等の価値と独立性を認める多元主義へと論議は進み、現在では様々な形で他宗教との対話が試みられています。

浄土真宗の普遍性を明らかにされた親驚聖人   小山 一行
そもそも仏教は日本にとって外来の宗教ですが、火の神、水の神というように様々な神を崇めてきた日本人は、仏教を隣国から来た新しい神様のように受け止めたようです。「神仏習合」という言葉からもわかるように、神々と仏様を同居させる教えの中で日本人は仏教を受容していきました。
  その考え方に対して、ただ一つのものを選ぶ「選択」の道をとり、「専修念仏」という純化した行を説いたのが法然上人です。『歎異抄』から、親鸞聖人も基本的スタンスは同じであったことがうかがえます。この点だけを取り上げると、浄土真宗は排他的一神教に近いようにも見えるでしょう。
  しかし、親鸞聖人は、大乗、小乗、各宗派に枝葉が分かれている仏教も根源は一つであると『教行証文類』の中で述べられています。それは、仏教の一流派として浄土真宗を捉えるのではなく、より普遍的な仏道として念仏の道を受け止めようとされたからでしょう。
宗教間の対話による自己変革と共存

 冒頭でお話しましたように、伝統的宗教には現代人の状況に充分応えられない部分があることは否めません。つまり、物語として示された教えの宗教的意味を訪ねるとともに、他教との違いや類似性を明確にすることによって相互理解を深め、自己変革に活かすことが必要となっているのです。それができるならば、伝統的宗教が、それぞれに深さと広がりを増した姿で共存することも難しいことではないと思います。
「わけのぼるふもとの道は多けれどおなじ高嶺の月を見るかな」とは、麓にいる人のいう言葉です。登ろうと思えば一つの道を選ぶことが肝要です。と同時に他の道を学ぶことによって自らの道はいよいよ深められ、広がりを持ったものとなるでしょう。宗教が対立を生むのではなく、現代に生きる人々の依り処となるために、今後数多くの対話が行われることを心から願ってやみません。
 
受肉と贖い キリスト教の伝統的立場を示す五つの物語の中で「創造」「堕罪」に次いで語られるものであり、受肉は「神は人類の救済のためにイエス・キリストを人間の肉体の中に具現し、神の言葉として送った」とするもの。贖いは「イエスの福音、その死と復活によって人間の罪が贖われ、神との新たな関係が可能となった」としている。最後は「終末論」が語られる。
第2バチカン公会議 1962年にローマ法王ヨハネ23世によって召集されたキリスト教の公会議。伝統だけでは人々に応えられず、むしろ悪化していた当時の在り様に鑑み、教会の遺産を現代の状況に適した形で示す「刷新」をテーマとした。キリスト教にとっては、絶対性の主張から大転換する契機となった象徴的な出来事といえる。
専修念仏 往生極楽の道は念仏一つに限られるとし、ひたすらに念仏を称えること。法然上人は、南無阿弥陀仏を、我々を救わんとする阿弥陀仏の願いに対する応答と位置づけ「ただ南無阿弥陀仏と称えて疑いなく往生するのだと信じて称えるよりほかに別の子細はない。どんなに学問をしても自分は愚かであると心得て、ただひたすらに念仏を称えなさい」と説いている。
教行証文類 親鸞聖人が50歳前後から草稿の筆を取り始め、60代前半に整理・清書したものと思われる浄土真宗の根本聖典。その後、少なくとも85歳ごろまではその作業が続けられていたことがわかっている。六巻からなり、広く経典や註釈書の中から念仏往生の要文を抜粋・編集し、浄土真宗の教義を組織体系化。全ては阿弥陀仏の回向の働きと捉え、信心に中心を置いて説く。正式名は『顕浄土真実教行証文類』。

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私も聞いてきました
 
「他」を知ること、「自分」を知ることの大切さを学びました------------

今日の講座は、「他」とのことを知り、そして「自分」のことを知る上でとても感銘を受けました。とても意味あるものでした。(70代女性)
 
現在のアジアを理解する上でとても参考になりました------------

来年オープン予定の九州国立博物館ボランティアをやっていますが、アジアとの交流をテーマとする博物館を語る上で、今回の連続講座は非常に勉強になりました。(60代男性)
 
これからの人生を考えるきっかけにしたいと思います------------

日常で学ぶことができない貴重な学問に接することができて、とても大切な時間を過ごすことができました。この経験をもとに有意義な人生を送って行きたいと思います。(50代女性)
 
もっといろんなことに視野を広げたいですね------------

今回の連続講座を通じて、仏教だけでなく、様々なジャンルの講義を聴くことができ、とても勉強になりました。このようにいろんな角度から考える機会をいただき、ありがとうございました。(20代女性)
※「法海」とは、仏法の広大なことを海にたとえている言葉です。

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