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今回の「百年の飛翔を訪ねて」では、1984年(昭和59年)から 1987年(昭和62年)までをご紹介します。 短期大学の開学20周年を機に「筑紫女学園報」の創刊、 育英奨学金制度の施行など、学園に新たな魅力が加わりました。 |
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昭和59年11月、太宰府の短大キャンパスに新たな施設が加わりました。総面積3万3000uに及ぶ野外施設の完成です。季節の花々が彩り、小鳥たちのさえずる裏山に、木立を縫うような高雄遊歩道が続き、展望台からは北に四王寺山、東に宝満山、西には水城跡と史跡の町太宰府を望みます。その他にも、特別教室、クラブ室、野外集会場、東屋などの施設が設けられ、「洗心堂」「法憧閣」「紫雲薹」といった趣き深い名前がつけられました。 その翌年10月24日には、全学礼拝形式で短期大学開学20周年の記念式典を挙行。学長・理事長挨拶に続き、紫友会(短期大学同窓会)会長から視聴覚機器が記念品として贈られました。また、元本学園短期大学教授・戸崎宏正先生と「土着と反逆―吉野せいの文学について」という評論で農民文学賞に輝いた本学卒業生の岩元三津子さんを講師に迎えて記念講演が行われました。 |
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短期大学にとって成人式とも言える20周年を迎えた当時は、本学園に大学設立構想が立ち上がった時期にあたります。昭和60年6月1日には、大学設置申請業務を進めるための「四年制大学設置準備室」が開設されました。こうした中で、当時の下川弘義理事長の発案により誕生したのが、本誌「筑紫女学園報」です。創刊は対外的な広報活動の重要性を認識してのことであったと思われます。しかし、それ以上に、在校生や卒業生、また、その保護者の方々をはじめとする学園関係者の結びつきを深めていこうという考えに基づくものでした。 下川理事長は創刊号に「広報活動の充実を通して、学園諸兄姉との心の交流を深めさせていただきたい」と記しています。1号あたり4ページ、全面白黒印刷で6,000部を年2回発行することからスタートし、その後、発行回数やページ数を増やし、全面カラー印刷へと編集スタイルも変わってきましたが、創刊時の願いは現在も変わることはありません。これからも本誌では学園の「今」を発信しつつ、学園の考え方や今後の筑紫女学園、また様々な分野で活躍されている卒業生の方々について、広く社会にアナウンスしていきたいと思います。 |
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昭和60年で特筆すべきもう1つのこととして、10月1日に施行された筑紫女学園独自の育英奨学金制度(給付制度)があげられます。これは、本学園に在学中の学生・生徒が不測の事態による経済的理由から修学が難しくなった場合に授業料等相当額を給付するもので、定期採用は高校生・短大生を対象とし、応急採用には中学生も含めることとなりました。制度発足と同時に中学生1名、短大生2名の採用が決定する一方、早速数名の方よりご芳志をお寄せいただくなど、順調な滑り出しとなり、現在へと続いています。 また、翌昭和61年には本学短期大学のボランティアサークル「つくしんぼ」が、社会福祉障害者センターでの5年間にわたる活動を認められ、福岡市社会福祉協議会より感謝状を贈呈されるなど、学生と学園の活動が社会に向けて大きく動き出すことになりました。 |
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上記記事でもご紹介のとおり、本学園独自の奨学金制度「学校法人筑紫女学園育英奨学会」は「在学する学生・生徒で経済的理由により修学困難な者に対し、学資を給付し有為な子女を育成」することを目的として、昭和60年に発足しました。これまで20年間にわたり、60名の奨学生を採用し、奨学金の給付を行っています。 (右表参照) 本学園奨学金制度への寄付の申し出、問い合わせにつきましては法人本部総務課まで (TEL:092-925-9918) よろしくお願いいたします。 |
■本学園の奨学生採用数
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この他にも本学園には、日本学生支援機構(旧日本育英会)奨学金をはじめ、公的機関などによる奨学金制度があります。詳しくは各学校窓口までお問い合わせください。 |
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