筑紫女学園報No47 6月1日発行
Chikushi Jogakuen Online Report
 
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法海
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法海
「歴史のなかの親鸞」
 1973(昭和48)年の「親鸞聖人生誕800年、立教開宗750年」に際し西本願寺は、「あらためて聖人の教えが現代にいかなる意義をもつかを明らかにし、それを広く世に訴えたいという意図のもとに」一冊の本を出版した。それがこの『歴史のなかの親鸞』である。永らく絶版であったが、現在は永田文昌堂から再版されたものを手にすることができる。”あなたにとって、この一冊は“と問われれば、私は躊躇なくこの本を挙げる。

「歴史のなかの親鸞」 私事で恐縮だが、私は、寺の長男として生を受けた。しかしながら、それに相応しく成長していったわけではなかった。”仏さま“への「御布施」を糧にして生きているという寺の現実の”重さ“に耐えかねて、そこから解放されようともがき、文字通り”理由なき反抗“を繰り返していた。ある時期には、日曜毎に早朝の石城町に立ち、日雇いの建設作業員として汗水流し、労働の意味を考えたつもりになってみたりもした。親鸞について大して知りもしないくせに、寺から逃げ出したい一心で親鸞に背中を向けて突っ走っていた。

 そんな私がいくらか親鸞と向き合おうとするようになった、そのきっかけを作ってくれたのが、この『歴史のなかの親鸞』である。
 「歴史のなかの」とは、「人間の具体的な日々の営みにとって」と置き換えてもいいと思う。”親鸞の教えは人間とその社会に何をもたらすのか“、”私自身とこの社会にとってどのような意味を持つのか“。親鸞の生涯を描きながら、いきいきと語られるそれは、当時の私を根底から揺さぶった。逃避するのではなく私自身と私をとりまく状況に、親鸞の教えを基点として潜り込む。それが親鸞を開祖と仰ぐ寺に生まれた私のなすべきことではないか、と。


 今でも逃避願望が頭を擡げる時、この本を読み返す。
【ミニ解説仏教用語】出世(しゅっせ)  一般には「世の中に出てりっぱな地位、身分となること」と理解されていますが、本来は「仏が衆生を救済するためにこの世に出現すること」を意味する仏教語が起源となります。したがって「出世」した人が、自分の地位や名声に驕ることなどありえません。世のため人のため働くことを目的として「出世」するのが当然なのです。
本学園の聖典が新しくなりました。
 このたび本学園では、昭和39年(1964年)以来、永く使用してきた聖典を改定しました。部分的な改定は、これまでも時折行ってきましたが、今回は全面的な改定となりました。
 最も留意した点は、時代に合わせてわかりやすい表現に努めたことです。建学の精神(校訓)をはじめ、多くの文章を書き改めました。口語訳をつけたものもあります。漢字も経典の部分を含め、ほとんどを常用漢字にしました。
また、聖歌もよく行事などで使われるものを中心に配置し、難しい歌詞には注釈をつけています。
 新しい聖典は、今年度入学の学生、生徒から使用しています。礼拝、授業そして日常の読み物として、活用していただくことを願っています。


聖典についてのお問い合わせ先
■ 大学・短期大学 宗教教育部 TEL.092-925-3511(代)
■ 中学・高等学校 宗教部教員 TEL.092-771-3066(代)
※「法海」とは、仏法の広大なことを海にたとえている言葉です。

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