建学の精神


本学園では、現代の学生・生徒たちに「建学の精神」を
よりわかりやすいものにしたいとの願いから検討を重ね、このたび下記のとおり
改定されることになりました。ここに、その内容をご紹介したいと思います。


 明治三十三年、浄土真宗本願寺派の北米開教使としてアメリカに渡った念仏者水月哲英は、かの地で宗教に基づいた女子教育が広く行われている現状を見聞し、その重要性を痛感しました。帰国後、わが国に仏教による女子教育を確立することに自らの使命を見出し、その実現を願って明治四十年に設立したのが本学園です。
 したがって本学園は、親鸞聖人によって明らかにされた仏陀(釈尊)の教え、すなわち浄土真宗の教えを建学の精神としています。鎌倉時代の乱世を生き抜かれた親鸞聖人は、不完全で愚かな人間に過ぎない私たちが、限りない「ひかり」と「いのち」に抱かれ支えられていることに目覚めるとき、ひとりよがりの自我から解放され、真実の安らぎ ― 浄土 ― に向かって輝く人生を歩む道が開かれると説かれました。
 その目覚めは、私たちの力によって獲得するものではありません。限りない「ひかり」と「いのち」そのものが、私たちに真実を伝えようとする願いとなって働きかけ、私たちを呼び覚ます声 ― 南無阿弥陀仏 ― となって届けられるのです。このことを聖人は、阿弥陀仏の本願を信じ念仏を申す一筋の道として私たちに示されました。
 本学園の校訓は、この「こころ」を三項目にまとめて表したものです。

校訓
自律(自己への目覚め)
 自律とは、自分の人生を自らが生きるということです。それは、ほんとうの自分を照らし出す光となるものに出会い、それによって自分を深く見つめるところから始まります。
 こうして自分自身を見つめるとき、私たちはこれまでの自己中心的なありかたの過ちに気づかされ、 ”さまざまな恵みによって生かされている“という自覚にたどりつきます。この自覚を基礎として、自ら考え、自ら判断し、自ら行動していくことが、自律ということなのです。
和平(他者への目覚め)
 和平とは、自分のまわりにある他のすべての存在を認め、互いに尊重しあう中に生まれるおだやかな世界です。
 自らを律するとき、私たちは一人一人が、かけがえのない自己を生きている身であることに気づくでしょう。
 もしも自己中心的な価値観にとらわれて他者を軽んじたり、あるいはそれぞれの尊さを無視して自分と同じになることを強要すれば、対立と争いを引き起こすだけで、ほんとうのおだやかな世界は決して生まれてこないでしょう。
感恩(生命への目覚め)
 感恩とは、自分を支えている大いなる恵みを知るということです。
 自律というありかたによって自分自身の内側に眼を向けるとき、私たちの生命は、無限の生命のつながりの中に縁あって恵まれ、はぐくまれてきたものであることに気づくでしょう。同時にそのつながりの中で、恵まれた生命を生かす必要があるということも、うなずけるでしょう。
 こうして、自分を支えている、はかり知れないはたらきに感謝の念を抱き、その恩に報いたいと願いながら生きることが大切なのです。