
創立以来、基礎の確立を続けていた私立筑紫高等女学校は、大正2年に、生徒定員が400名に変更認可され、大正4年4月には、水月文英が主席教諭となりました。また、この年の11月には記念館(職員室)が落成しました。
大正6年、創立10周年を迎え10月25日に記念式典を挙行。その日の午後からは精華会(同窓会)大会を開催しました。この時、水月文英教諭が作詞、音楽の高島チカ教諭が作曲した式歌が歌われましたが、これがその後校歌となり、今日に至っています。
大正7年4月、割烹室の拡張と洗濯場を新設。大正8年9月には、校名の「私立」の二字を削除し、「筑紫高等女学校」と改称しました。11月には生徒定員が600名に変更認可されました。
大正11年1月、図画教室・地歴教室2階建1棟が新築落成。その年の10月22日には、快晴の空のもと卒業生1、000人祝賀会を校庭で開催し、翌23日には祝賀運動会も催しました。
大正12年4月24日には、水月文英が副校長に就任。講堂と雨天体操場を新築するなど、急速に施設や環境の整備を進めていきました。
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