心の鬼が身を責める - 本学園短期大学幼児教育科教授 恵利勝縁


心の鬼が身を責める 「泣いた赤鬼」、「こぶ取りじいさん」「桃太郎」など鬼が出てくるお話はたくさんありますが、「鬼」という恐ろしいものがいるという考え方が仏教から出たとするのは正確ではないようです。仏教の「地獄」の例えと「鬼」が結びついたのではないでしょうか。もともと鬼という言葉は「隠」(おん)のなまりで「姿のないもの」「どこかにひそんでいて、人前に現われないもの」のことという説が有力です。
 つまり、亡くなった人の霊、魂を「隠」ということばで表わしていたのが、いつ間にか「オニ」とかわっていったらしいのです。  「隠」の字は怨念(オンネン)という時の「怨」と発音が同じで、隠・怨・鬼は、どれもこの世に未練やうらみを持つ恐ろしい霊魂のこと、と信じられるようになったようです。
 私たちは毎日の生活の中で他人の怨みを買うようなことはしていないでしょうか?いじめたり、泣かせたり、怨んだり、おどしたり、そんなことをされた他人が別の世界に行ってしまうと、後のたたりが恐くなるのです。
 身におぼえがあるから、亡くなった人が鬼のような姿になって、自分がやったひどい仕打ちをやりかえしに来るのではないかと「心の鬼が身を責める」のです。生きてる間は霊におびえ、死しては地獄で鬼の罰を受ける。だから「悪はなすべからず」だったのです。この意味で鬼は社会の犯罪や非行防止に貢献して来たともいえるのですが・・・  現代の鬼や霊を無視する風潮が現代人の自制の心、罪の意識、他人への影響を考えなくなって来てるのではないでしょうか。現代社会に罪の意識を取りもどすには、鬼や幽霊にひとはたらきして頂くしかないのかも・・・
 少年少女の夜ふけの外出が何と多いことか。夜は暗くて恐いんだと、鬼や幽霊に教えてもらうしか頼れるものがなくなったのでは? 鬼様には大変迷惑ですが・・・