筑紫女学園報No47 6月1日発行
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百年の飛翔を訪ねて - 第8回 - 昭和中期2 1968年〜1971年
今回の「百年の飛翔を訪ねて」では、1968年(昭和43年)から1971年(昭和46年)までをご紹介します。
短期大学に幼児教育科の増設が認可された喜びと、水月文英校長が亡くなられた寂しさに学園が揺れた4年間でした。
短期大学開学4年目に迎えた幼児教育科の増設認可。
幼児教育科開設当時の実習風景  昭和43年9月に短期大学の図書館が完成し、続く翌年には、幼児教育科増設が文部省に認可されました。幼児教育科の設置については、短期大学設立申請当時から各方面の要望が強かったものの、国文・英文・家政と3学科同時の申請ですら、当時は困難な状況にあったため、次の段階へ見送ることになっていました。短期大学開学から4年を経て待望の開設を迎えることになり、この増設認可によって、さらに充実した教育環境を整えることができたのは、本学にとって大きな進化だったといえるでしょう。
「見真堂」入仏式と文英校長とのお別れ。
職員室で慈父のように微笑む在りし日の水月文英校長 昭和45年3月、水月哲雄が中学及び高等学校の校長に就任し、本学園創設の志を継ぐ水月文英は、名誉校長の任に就きました。その年の12月25日には、高等学校校舎内の仏教教室「見真堂」ご仏壇の入仏式を挙行しました。この仏壇は、水月文英が昭和36年に、インドへ仏蹟巡拝へ出かけた際、同行された室生寺の檀徒総代松平一雄氏から「京都の或る屋敷から大変立派な細工が施された仏壇を預かり、引き取ってくださる方を探している」と聞いていたものでした。水月文英は「回想録」の中に、この仏壇を譲り受けた時の経緯を「宗祖聖人七百回忌が厳修されるので(中略)本山に参拝した。その帰途室生寺に参詣して松平氏を訪問。(中略)仏壇の現物を見せて貰った折、真に立派なものであり後送して貰った」と記しています。
 その水月文英校長が亡くなられたのは、入仏式から1年後の昭和46年12月21日。28日には中学・高等学校の講堂において、学園葬が営まれました。勤続60年、真の教育者として水月文英が残した数々の功績は、建学の理念とともに現在も学園の礎となっています。

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