筑紫女学園報No47 6月1日発行
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「阿弥陀が来た道―百年目の大谷探検隊―」
 浄土真宗本願寺派(西本願寺)の第22代門主・大谷光瑞師は、明治の中期から大正時代にかけて、3度にわたって中央アジア・シルクロードの仏教遺跡を発掘・調査し、膨大な資料を持ち帰った。世にいう大谷探検隊である。
 第1次の探検隊は、光瑞師がまだ新門と呼ばれていた明治35年(1902年)、遊学先のロンドンからロシア経由でカシュガルに入る旅によって始まった。この時、光瑞師は26歳、同行したのはいずれも同年輩の青年僧侶だった。シルクロードの要衝カシュガルからパミール高原を超えて北インドのスリナガルに至り、ベナレス、ブッダガヤ、王舎城の仏教遺跡を探査してカルカッタに着いた時、待っていたのは父・光尊師の訃報だった。
 日本有数の大教団である本願寺派の責任を担う立場となっても、光瑞師は西域探検の夢を捨て切れず、その後は門下生に命じて、第2次(明治41年)、第3次(明治43年〜大正3年)の探検隊を派遣したのである。


「阿弥陀が来た道―百年目の大谷探検隊―」 本書は、大谷探検隊の派遣より百年目となる平成14年に、毎日新聞の記者であった著者が龍谷大学の学生たちを率いて光瑞師の足跡を旅し、その見聞を同紙に連載した記事の集成である。インドから西域を経て中国に至り、ついに日本にたどり着いた仏教東漸の歴史を振り返りながら、現在のシルクロードの状況がルポルタージュ風に報告されている。いかにもジャーナリストらしい嗅覚が随所に散見され、収録されている多数の写真も美しい。

 しかし、本書が単なる旅行記を超えた感銘を私たちに与えるのは、仏教伝来の道(私たちにとって、それは阿弥陀が来た道にほかならない)を辿ろうとする著者の熱い思いが伝わってくるからであろう。そして、その向こうには、遥かに明治期の青年仏教徒たちを動かした仏教への情熱が、重なって見えるのである。
【ミニ解説仏教用語】知識(ちしき)  師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし―仏教でいう「知識」とは「真実に気づかせてくれた師匠や友人」のことを意味します。自分の知識にうぬぼれて他人を見下すような人は、本当は「知識」を大切にしていないことになります。本物の「知識人(知識ある人)」とは「まわりの人を大切にして感謝する人」なのです。
※「法海」とは、仏法の広大なことを海にたとえている言葉です。

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