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浄土真宗本願寺派(西本願寺)の第22代門主・大谷光瑞師は、明治の中期から大正時代にかけて、3度にわたって中央アジア・シルクロードの仏教遺跡を発掘・調査し、膨大な資料を持ち帰った。世にいう大谷探検隊である。 第1次の探検隊は、光瑞師がまだ新門と呼ばれていた明治35年(1902年)、遊学先のロンドンからロシア経由でカシュガルに入る旅によって始まった。この時、光瑞師は26歳、同行したのはいずれも同年輩の青年僧侶だった。シルクロードの要衝カシュガルからパミール高原を超えて北インドのスリナガルに至り、ベナレス、ブッダガヤ、王舎城の仏教遺跡を探査してカルカッタに着いた時、待っていたのは父・光尊師の訃報だった。 日本有数の大教団である本願寺派の責任を担う立場となっても、光瑞師は西域探検の夢を捨て切れず、その後は門下生に命じて、第2次(明治41年)、第3次(明治43年〜大正3年)の探検隊を派遣したのである。 ![]() しかし、本書が単なる旅行記を超えた感銘を私たちに与えるのは、仏教伝来の道(私たちにとって、それは阿弥陀が来た道にほかならない)を辿ろうとする著者の熱い思いが伝わってくるからであろう。そして、その向こうには、遥かに明治期の青年仏教徒たちを動かした仏教への情熱が、重なって見えるのである。 |
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※「法海」とは、仏法の広大なことを海にたとえている言葉です。
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