シリーズで本学園の歴史を紹介するこのコーナー。第3回目となる今回は、昭和初期の歩みについて振り返ります。 |
明治・大正の初期、体育の服装は和服で、のちに元禄袖と袴になりましたが、活発な運動はできませんでした。テニスなどは校内で行ってはいたものの、当時福岡日日新聞社主催で、女子庭球大会を奉納したいとの申し入れがあった時も「対校試合など勝敗を決することは、女子にとってはあまりにも残酷である」という理由で参加を断ったほどでした。 しかし、体育奨励は次第に時代の要求となり、本学園における体育教育もだんだん盛んになっていきました。陸上では昭和10年秋、小倉高女と争って1点差で県内優勝を果たしました。その他、卓球・バスケットボールなども県内では優秀な成績をおさめていました。 水泳部ができたのは昭和6年で、同9年には保護者の後援と卒業生の尽力により、校内にプールが完成しました。その後は毎年2、3人が東京で開催される全国大会に出場しました。また、昭和14年には第10回明治神宮国民体育大会において、本学園バレーボール部が東京代表の常勝中村高等女学校を破って全国制覇を成し遂げるなど、「文武両道の筑紫」の基礎を次第に固めていきました。 |
昭和10年10月19日には新校舎の落成式および卒業生3、000人の記念祝賀式典を挙行しました。この校舎新築は、昭和3年、水月哲英校長に教育功労者として藍綬褒章が下賜されたときに、これを記念して構想が始まりました。昭和4年に記念事業期成会が組織され、保護者・精華会などの尽力により、当時としては珍しい鉄筋の3階建校舎が完成しました。 また、昭和15年には創立30周年記念および校長古希祝賀記念として茶室「洗心庵」が完成しました。 |