No.9
2022.04.01

小柄でも日本代表として戦える―。
惜しまずに積み重ねてきた努力は、
大きく実を結ぶと信じて。

Profile 近藤 万春 さん
イズミメイプルレッズ 所属
筑紫女学園高等学校|2014年卒業
01筑女に入学したきっかけを教えてください。

中学校からハンドボールをやっていて、ありがたいことにさまざまな高校からハンドボールの選手としてお誘いを受けていました。中でも筑女のハンドボール部で顧問を務めていた村山先生はとても熱心で、「何としてでも来てくれんか」と電話をくださったんです。その熱いひと言で入学を決意しました。筑女のハンドボール部は福岡県で最も強く、名門と呼ばれる学校で成長したいと思ったのも理由のひとつですね。

02ハンドボールを始めたきっかけは?
両親がテニス好きだったので、兄も私も幼少の頃からテニススクールに通っていました。当時は「テニスプレーヤーになる」と自分でも思っていたのですが、転機が訪れたのは小学6年生の夏休みでした。幼馴染がハンドボールの九州大会に出ると聞き、応援に行ったところ「こんなに面白いスポーツがあったなんて!」と、一気にハンドボールの魅力に惹かれてしまったんです。ボールを投げる、走る、飛ぶ……自分が好きな要素が全て詰まっていることに感動し、両親に「テニスはやめてハンドボールを始めたい」と宣言したのを今でもよく覚えています。進学する中学にハンドボール部があったのも運が良かったですね。
03筑女での学校生活を振り返って、記憶に残っている出来事はありますか。
実は、入学時のハンドボール部は私を含めて同級生の部員が2人しかいなかったんです。「このままでは練習ができない」ということで、まだ友達にすらなっていない同級生たちに声をかけ、何とか8人集めました。そのまま誰一人欠けることなく卒業までチームでいられたのはとても良い思い出です。厳しい練習に耐えられたのも、みんながいたから。切磋琢磨しながら過ごした3年間が、確実に今の自分をつくっていると思っています。当時のメンバーとの結束は強く、今でもよく連絡を取り合っています。
04部活以外での思い出は?

やはり、講堂での礼拝ですね。一度だけ仏教委員を担当したことがあって、緊張しながら講堂に上がって聖典を読んだのをよく覚えています。今でもちょっとなら覚えているはずです。

05当時、関わりの深かった先生はいますか?

ハンドボール以外で、特にお世話になった先生は保健体育の授業を担当していた中村先生です。授業以外でも顔を合わせるたびに「頑張ってね!」と声をかけてくださって、先生と話すと悩みなんか吹き飛ぶくらい、いつもはつらつとした方でした。こんな大人になりたいと何度も思いましたし、きっと、部活動生はみんな中村先生から元気をもらっていたのではないでしょうか。

06卒業してから実感する、筑女らしさについて教えてください。
筑女は成績優秀な生徒が多く、入学してまず驚いたのはみんなの勉強方法や取り組む姿勢でした。私もそんな同級生たちの姿を見て「頑張らないと」と刺激を受けたんです。勉強はもちろんのこと、部活動にも本気で向き合う人が多い印象ですね。特に私の頃は陸上部に世界で戦う子がいたので「私もこうなりたい」とお手本のように思っていました。そんな人たちに囲まれていたことが、今の自分の礎になっているような気がします。
07その後、夢を叶えてハンドボール選手としてご活躍ですね。

2017年から広島の女子ハンドボールチーム「イズミメイプルレッズ」に所属しています。日中は9時から16時まで「ゆめタウン」本社でデスクワークをし、17時からは練習場に移動して20時頃までハンドボールの練習に打ち込む毎日です。チームで日本一を目指すのはもちろん、個人で日本代表として世界を舞台に戦っていければと日々奮闘しています。

08近藤さんが思うハンドボールの魅力とは。

スポーツの基本である「走る」「投げる」「飛ぶ」の3要素が含まれているところですね。一度試合を観ていただいたら分かる通り、非常にスピーディーな展開で飽きないんです。また、バスケットボールやバレーボールは身長が高いほうが有利といわれていますが、ハンドボールは決してそうとも限りません。私のように身長が低くても活躍できる、いわば誰もが主役になれるスポーツだと思っています。

092021年にはハンドボール女子日本代表「おりひめJAPAN」に選ばれました。当時の心境をお聞かせください。
世界で戦えるようになったきっかけは筑女時代にありました。当時の夢だった全国大会ベスト16は叶いませんでしたが、2013年にU-18に誘われたことから日本代表を意識するようになり、「もっと上にいきたい」と思い始めました。私の年齢なら目指すべきは2024年のパリオリンピックだと思っていて、東京で自分が選ばれるなんて予想もしていなかったので、まさかの展開に驚いて泣き崩れました。本当に貴重な舞台に立てたことに心から感謝しています。
10今後の目標を教えてください。

2024年のパリオリンピック代表に選ばれることです。東京2020オリンピックを経験して何より勉強になったのは、技術面よりも精神面でした。世界を見ている強豪国は、試合の場で逆風が吹いた後のメンタルの持ち直し方が違うんです。言いかえれば、どんなに強い選手が相手になったとしても、強い気持ちで立ち向かえば戦っていけるということです。私もマイナス面を打破できるようなプレーを目指して、チームを引っ張っていけたらと思います。

11最後に母校にメッセージをお願いします。

勉強にしてもスポーツにしても、頑張り続けた先に何かがあるものです。だから、自分を信じて努力を惜しまないでください。私はトレーニングメニューに「腹筋10回」とあったら必ずそれより多くやることを心掛けています。そんな小さな積み重ねがいつか花開いて自分の武器になると思うのです。私はハンドボール界では背が低いほうですが、努力し続ければ小さくても世界で戦えるようになるんだということを、これからも体現していきます。そんな私の姿が誰かの背中を押し、夢や感動を与えられたらこれほどうれしいことはありません。