No.8
2022.04.01

卒業から時を経て、
さらに重みを増した仏教のみ教え。
「自分らしさ」は筑女が教えてくれた。

Profile 植中 美紀 さん
二日市司法書士・行政書士事務所
筑紫女学園高等学校|1989年卒業
01筑女に入学したきっかけを教えてください。
ほかにも合格をいただいた高校はあったのですが、歴史と伝統があることや、卒業生の進路状況が良いという点に惹かれて筑女を選びました。両親が背中を押してくれたことも大きな理由のひとつですね。最初は阿弥陀如来や経典、念珠などに驚きましたが、毎週の勤行を経験したせいか、「重誓偈」の一節は今でも唱えられるほど身近なものになっています。姪から進路相談を受けたときも迷うことなく筑女を勧めました。
02高校時代、特に印象に残っていることはありますか。
毎日笑って過ごしていたので、学生生活全てが印象的な思い出です。生徒が女子だけということもあってか、性差を感じることなく、それぞれが個性を認め合って仲良く過ごしていたように思います。当時、私は久留米から通っていたので通学に片道1時間半かかっていました。朝は6時20分の急行電車に乗る日々でしたが、ほかにも電車通学の友人がいたので行き帰りの時間すら楽しかったですね。今でも連絡を取り合っている同級生がたくさんいます。
また、振り返ってみると、筑女の生徒はとにかくみんなよく勉強をしていたと思います。課外授業が7時40分から始まり、日が暮れるまで授業を受けて、さらに放課後は塾に通う人もいました。それが当たり前の環境だったので、私も自然と勉強する習慣が身に付いたのだと思います。
心に残っているのは、やはり仏教の授業です。中でも、仏教は人が亡くなったときの儀式といったイメージを持たれることもありますが、人がより良く生きるための哲学であることを学べたのは私の人生において非常に意義深い出来事でした。筑女での学びは、年齢を重ねるにつれ重みが増していくものなのだと感じます。
03当時関わりの深かった先生についてお聞かせください。
担任の中西敏子先生です。担当科目の英語の授業ではたびたび脱線して人生勉強の授業になっていましたが、それも深い学びのひとつ。充実した楽しい高校生活を送れたのは、中西先生のおかげです。
また、国語の吉田文三子先生がよくおっしゃっていた「相手に正確に言葉で伝えるのは難しいことだから、語彙を身に付けなさい。そのためには本を読みなさい」という言葉のおかげで、読書の習慣ができました。本を読むと経験していない知識も自分の中に蓄積でき、その立場の気持ちを知ることで思いやりが育まれる。あの頃、吉田先生の言葉に出会えて良かったと改めて思います。
04卒業して感じる筑女の魅力はありますか。

高校時代、「女の子らしくしなさい」という理由で意見や行動を制約されたことが一度もありませんでした。これは筑女ならではの魅力のひとつだと思います。そして、伸び伸びと自由に振る舞えた経験は「女性であることを自らの壁や言い訳にしない」という現在の私の生き方の礎になっていると言っても過言ではありません。社会に出るといわゆる「女性としての役割」を否応なく求められることが多いのですが、それに対する自分なりの対応の仕方も培われたように思います。
また、筑女には110年以上の伝統があります。人が変わっても理念が変わらず受け継がれているのは、非常に素晴らしいことだと思うのです。これは、仏教という確固たる考えに基づいたしっかりとした軸があるからではないでしょうか。これから先も「その教育 しなやかで、ゆるぎない」のキャッチコピーのとおり、末永く続いてほしいと願っています。

05現在のお仕事を教えてください。
「二日市司法書士・行政書士事務所」を開業し、司法書士と行政書士の仕事に就いています。行政書士は官公署に提出する書類や権利義務、または事実証明に関する書類の作成。司法書士は、不動産登記や商業登記などの登記業務、裁判所に提出する書類の作成や簡易裁判所での訴訟代理などの裁判業務、高齢者や障がい者の財産管理に関する成年後見業務など、業務内容は多岐にわたります。
私がメインで受けているのは相続や遺言に関する不動産登記や、企業法務を含む法人の登記の依頼です。相続はご本人が亡くなった後に遺族が行う手続きであるのに対し、遺言は本人が亡くなる前にご自身で行う手続き。どちらも遺産がどのように承継されるかで遺族のその後の生活が左右されるため、家族構成や収入、関係性などをつぶさに把握し、その後の経過を予測して考える必要があります。仕事を遂行する上では「子供叱るな、来た道だもの。年寄り笑うな、行く道だもの」という言葉を常に頭の中に置き、相手の立場に立つことを大切にしています。
06当時の学びで、今のお仕事につながっていることはありますか?

法の道に進みたいと思ったのは、高校1年の公民の授業がきっかけでした。政府や国会の仕組みは知れば知るほど面白く「もっと深く学びたい」と、進路を決める際に法学部を選びました。また、当時は生徒会の一員として規則を作る役目にも就いていたので、そうした経験も今につながっているのかもしれません。
しかし何より、仏教のみ教えが今の私を構築していると思っています。依頼の中には、幼い子どもを残して病気で亡くなる方や離婚問題に直面している方など、心が引き裂かれるようなケースが多くあります。そんなとき、何がベストかを考え、相手の人生に寄り添い、自分の知識を生かすことが司法書士の仕事です。それは、まさに「生老病死」「愛別離苦」といった仏教のみ教えに通ずる部分だと思います。

07今後の目標を教えてください。

私は現在50歳。今後は自分自身の「老」や「病」の時間を過ごしていくことになります。女性は男性に比べると寿命が長いといわれているため、配偶者に先立たれて一人の時間を過ごす人が多いそうです。たとえこの先そうなったとしても、その時間を自分らしく生きていくためにはどんなことが必要なのかをじっくり考えていきたいですね。それが見つかればこれからの人生、きっとさらに張り合いが出てくると思うのです。

08夢に向かって進む後輩の皆さんにメッセージをお願いします。
私が自分の生業として司法書士という仕事を見つけられたのは社会人になってからでした。どうか、皆さんも自分の生業や役割を模索することを諦めないでください。きっと、それが自分の生きる道となり、自信にもつながるはずです。もちろん必ずしもそれが仕事である必要はありません。母親として、妻として、人として……など、自分にできることや自分に与えられた役目にしっかりと向き合い、ぜひ「自分らしい生き方」を手に入れてください。