No.6
2021.04.01

良きライバルと切磋琢磨し、
ともに夢を叶えた喜び。
仏教の教えも医療人としての糧に

Profile 宮城 ちひろ さん
九州大学病院 心臓血管外科
筑紫女学園中学校・高等学校|2007年卒業
01筑女に入学したきっかけを教えてください。
家から通える私立中学校を2校ほど受けてどちらも合格しました。筑女を選んだのは、ちょうどその当時卒業生が大学受験で良い成績をおさめていたことと、両親も「女子校の方が、女の子だからと遠慮することなく自分らしく過ごせるんじゃないか」と後押ししてくれたからです。「どんな道に進んでもいいけど、1人で生きていけるように手に職をつけられたらいいね」とよく言われていたこともあり、私自身も自然とそういう思考になっていきました。
02中高時代、特に印象に残っていることはありますか。
中学校時代はバレーボール部に所属していて、「いつ勉強したかな?」というぐらい部活漬けの日々でした。高校に入った頃には医学部進学を意識しはじめていたので勉強と両立できるように宗教部に入りました。「宗教部」って、筑女ならではの部活ですよね。卒業してから人に話すとすごく驚かれて興味を持ってもらえるので、話のネタになっています。活動内容は、学校で行われる仏教行事の際などに生徒会と協力して準備のサポートをしたりするのがメインでした。筑女にはお坊さんをされている先生方が多いので、先生方からいろんなためになるお話を伺ったり、部室のように使っていた畳の部屋の居心地が良くて、勉強の合間のリラックスタイムになっていました。
03高校時代は、医師の夢を追いかけていたんですね。

高校の3年間は、医学部を目指してとにかく勉強第一の日々でした。日々の勉強ってとても地味な作業の積み重ねです。年単位で長い戦いに挑んでいくので結構パワーが要りますよね。孤独に自分と向き合う時間も長く、試験結果に一喜一憂してしまうこともあり、モチベーションを保つことも簡単ではありません。だけど、私の周りには同じ夢を持った良いライバルがいました。同じ志の同級生がいて、みんなでがんばろうねという雰囲気があって、そのおかげでモチベーションが切れることなく、怠けたり諦めたりすることもなくずっと夢を追いかける炎を燃やし続けられたんです。お互い志望校にどれぐらい近づいているのかが分かる模試の結果も意識はしていましたが、お互いを蹴落とそうとかいう意識は全くなく、「みんながんばってる。私もまだまだがんばれる」というポジティブな刺激をもらえました。最終的にそのライバルたち全員で同じゴールに到達し、現役で九州大学医学部に合格することができました。大学の同級生や先輩・先生たちの間で「筑女の4人組」とまとめて覚えてもらっていましたね。今もそれぞれ違う診療科ではありますが、みんなのがんばっている姿に刺激をもらっています。

04卒業後の進路について教えてください。
医学部で6年学び、国家試験に合格した後は千葉での研修を経て、九州大学病院の医局に所属し、さまざまな病院で経験を積みました。専門は小児の心臓血管外科で、主に臨床の現場で手術を中心とした診療を行っていましたが、今はアメリカのオハイオ州にある病院に研究留学をしています。臨床とは別の角度の仕事ではありますが、留学先の病院の小児心臓外科とコラボした研究もしています。こちらの心臓外科は手術数が非常に多く、経験豊富な医師がたくさんいて非常に刺激的です。ここで最新の医療機械の開発に携わりつつ、それを臨床に生かしていければと思っています。心臓血管外科は命に関わる手術が多く、かつスピード勝負で失敗が許されない場面が多々あります。先天性の病気を持って生まれてくる子どもたちにとって手術しか救える道がない場合も少なくありません。うまくいけば劇的に良くなることもありますが、結果を出すには医師の腕が試されます。1人でも多くの子どもの命が助かり、その後夢を追いかけることができるように、支えになりたいと思います。
05お仕事のやりがいや大変な点をお聞かせください。

大変な点は、常に知識や経験のアップデートが求められるため地道に勉強を続けなければならないところです。私は昔から「大は小を兼ねる、迷ったら難しい方を」と考えるタイプでした。せっかくやりたいことがあるのならとことんやりたいし、目先の労力が大きい方がリターンも大きかったりします。挑戦してダメなら後から簡単な方に進むことはできますが、逆はとても難しい。まずは自分で限界をつくらずやってみる方が後悔しないかなと。今の留学もそういう考えの積み重ねの結果、気づいたらアメリカにいたという感じです。異国の環境には不安もありましたが、相手は同じ人間。海外だろうと人付き合いの基本は変わりないので、臆さず、1人の人間として相手に敬意を払いながら接し、自分の考えを丁寧に伝えていけば意外と何とかなりますね。これは日本においても変わりません。医師だけでは患者さんを治療することはできなくて、主人公はあくまで患者さん、そして看護師や薬剤師、検査技師や栄養士など数えきれないほどの専門職の方々とチームで取り組まないと治療は成し遂げられません。そのことを忘れず、常に周りに感謝の気持ちを持っていたいです。日々慌ただしくなかなか立ち止まる余裕もありませんが、そうした意識で目の前の1つ1つの課題をクリアし、結果的に患者さんの命が助かる手助けができたらこれ以上のやりがいはありません。

06筑女での学びの中で今の仕事につながる部分はありますか。
ものすごくたくさんあります。勉強面でいうと、数学が大好きだった私と友達のために、先生が難問を集めたプリントを頻繁につくってくださって、それをゲーム感覚で解いていくのが楽しくて。教科書に載っていることやテストに出る問題ではなく、解き応えのある良い問題に出会えたことでより一層数学、ひいては勉強そのものが好きになりました。それから英語の授業も印象深いです。文法や単語だけでなく話せる力を身につけるためにリズム重視で教えてくださる先生や、「世界を見る姿勢を大事に」と外向きの視点を教えてくださった先生もいました。高校生から留学に積極的になれたのもこうして背中を押していただいたおかげです。勉強する楽しさを教えてくださった先生方のおかげで、受験にもその後の勉強にも立ち向かう力を育ててもらったと思います。それから、仏教の授業も今の私の原点のひとつだと思います。「人生とは苦である」という教えに触れ、多少の辛いことは「そもそもそれが人生だ」と捉えられるようになり、些細な幸せに気づけるようになりました。もちろん人は人に支えられて生きているんだと、周りに感謝する気持ちも筑女で教えてもらったことの1つです。おごりたかぶらず、感謝の気持ちを胸に、前向きに生きるという私の柱はここで築かれたのだと思います。
07夢に向かって進む後輩の皆さんにメッセージをお願いします。
筑女には個性豊かで優秀な人たちが多いので、どんな夢を抱いているにしても良きライバルや仲間が見つかるんじゃないかなと思います。中高には医進コースができるそうですが、同じ夢を志す仲間は貴重な存在です。互いの存在を、自分ががんばるための原動力に変えて切磋琢磨していけたらいいですね。仏教の授業でも学ぶ機会があると思いますが、自分以外の誰かに支えられていることを忘れずにいてください。日頃の勉強もそうですが、どんな道に進んでも壁にぶつかることはあります。孤独を感じたり、乗り越えられないんじゃないかと不安に思ったりします。そういう時に支えてくれるのは大切な友人や仲間です。どんなに優秀な人でも1人では生きていけません。学生時代のうちから視野を広く持ち、いろんな人と積極的に関わってみましょう。これからはチームの時代。医療業界以外でも、多くの人とコミュニケーションをとって巻き込んでいける人は重宝されると思います。相手の気持ちを慮りつつ自分の意見を上手に伝えられる人になれたらどんな場所でも活躍できるはず。応援しています!