No.4
2021.04.01

短大・大学と学び続け、
「理想の保育」像を描き、
幼児教育の現場で実践へ

Profile 小島 千枝 さん
社会福祉法人輔仁会つぼみ保育園
筑紫女学園短期大学 幼児教育科|1983年卒業
筑紫女学園大学 文学部 発達臨床心理学科|2006年卒業
01筑女に入学したきっかけを教えてください。
私は筑紫女学園の短期大学があった時代に短大と、社会人として20年近く働いた後に4年制大学でも学びました。高校時代から人と関わる仕事がしたいと思っていたんです。その中でも特に何がしたいか自分自身に問いかける中で「人を育てる」ということを学んでみたいなと考えて筑紫女学園短期大学の幼児教育科に進学しました。2回目は、40歳前後ですでに幼稚園や保育園で働いた経験はありましたが、より深く学びたいと思って心理学を学びに、再び筑紫女学園大学の門をくぐりました。
02短期大学時代、特に印象に残っていることはありますか。
いちばん印象に残っているのは、先生方がとても教育熱心でとにかく厳しかったことです。特にピアノの授業では普段のTシャツ、デニムといったカジュアルスタイルは許されませんでした。試験も自分で好きな曲を選んでいいのですが、簡単な曲を選んでいると先生に「あなたはもっと難しいことに挑戦できるはず。どうしてもその曲が弾きたいのならもっとこういう風に弾きなさい」とより高いレベルを求められました。実は私は子どもの頃からピアノを習っていたのである程度は弾けたんです。楽をしようと思っていたらすぐに見透かされてしまうぐらい、学生のことをきちんと見てくださっていたんですね。授業やテストは緊張の連続でしたが、「筑女の卒業生のピアノの腕は間違いない」と評価されていることを後々知り、私たち卒業生にとってそれは誇りでもありました。
03社会に出ても通用する実践的な学びだったんですね。

そうです。もちろん、座学でもたくさんの学びを得ましたが、やっぱり今でも思い出すのは実際に手を動かしながら苦労したことですね。例えば、竹トンボや凧をつくる授業では見た目だけ良くてもダメで、ちゃんと飛ばせないと合格できなかったんです。不格好な凧をつくった友人がグラウンドを全速力で走りながらやっと飛ばせて「合格したー!」と喜んでいた姿が今でも目に焼き付いています。あとは卒業生全員が共感してくれると思いますが、忘れられないのはあの坂ですね。「化粧落としの坂」と呼ばれていました。遅刻しそうなときも走りきれませんでした(笑)。当時は、バスもなかったので行きは五条から上って、帰りは太宰府で梅ヶ枝餅を食べて帰ったことを覚えています。できたてならではのカリカリッとした食感、すごくおいしかったですね。

04短大卒業後は幼児教育の仕事に就いたんですね。

卒業後すぐに幼稚園で働き、そこで出会った先生に幼児の運動あそびについて深く教えていただきながら運動遊びの指導講師として働いた時期もありました。でもやっぱり子どもと共に生活しながら成長を見守る職に就きたいと思い、現在のつぼみ保育園で働きはじめました。園児や保護者の方々と接して、試行錯誤しながらも毎日が楽しく、いろんなことを学んだ日々でした。

05そこから再び筑紫女学園大学に入学することになったきっかけは。
短大での学びを経て、約20年保育に関する仕事をして、保育を取り巻く社会の変化に対応できていないのではと感じていました。保育園というのは園児と向き合うのはもちろんですが、保護者の皆さんに寄り添うことも大事な仕事なんです。子育てしながら就労される保護者の方々の大変さに寄り添うことも求められるのですが、私にはそれが足りないと感じたのです。他者への配慮や福祉に関する知識をもう一度学ぶことで、保育士としてもっと成長できるんじゃないかと考えていました。そんな時、40歳前後で少し仕事を休んだ時期でもあり、時を同じくして筑紫女学園大学ができるという話を聞き、通ってみようかと。これから保育士を目指す若い人たちがどんなことを学び、考えているのかを知りたいという気持ちもありました。
06大学での4年間はいかがでしたか。

大人になってから通ってみると短大の頃よりも目的が明確なことと、実際の現場経験と結びつけることもできてより深い学びが得られました。今、子育てに奮闘している保護者の方がどういう環境下に置かれ、どんな悩みや苦労を抱えているのか勉強することができ、自分に足りなかった部分を振り返って、後悔したり、少し辛い思いもしたりしました。だけど、それだけ新しい発見があったということは、学び直しをした意義も大きかったということです。周りの学生さんから「実習に行く前に気をつけた方がいいことをアドバイスしてほしい」と相談されることもありましたね。

07卒業後の進路について教えてください。
卒業直前からまた古巣であるつぼみ保育園に戻り、新しい保育園の立ち上げに関わることになりました。保育と幼児教育そして心理学を学び直したことで自分の中で「理想の保育」を思い浮かべていたので、それに向けて実践したいと考えていました。
08理想の保育とはどういうものでしょうか。

子どもたちが自ら遊びを楽しむ中で自然と成長できるような環境をつくることだと思います。子どもたちには発達の段階があり、その年齢や成長の度合いに合う遊びや学びがあります。それが自然とできるような道具や環境を整えてあげれば、自ら遊び、その体験の中でたくさんのことを身に付けていくんです。その姿を見ながら、何に興味があるのか、何を楽しいと感じているのか、また、何につまずきを感じているのか…等を考えて、保育を組み立てていくことが、保育者としての楽しさだと思います。昨日覚えたことや感動したことを、今日の遊びにどうつなげるかを考えたり、遊びに飽きそうな頃には別の遊びを用意したり、素材を変えたり加えてみたり、好奇心をくすぐる仕掛けをしてあげるんです。一人一人に合わせたさまざまな工夫が、子どもたちの生活や遊びを豊かにすると思います。また、温かい大人の心持ち、まなざしやことば等は不可欠です。何かができたり、覚えたりという分かりやすい短期的な変化よりも、心を育てる保育をしたいと考えています。

09短大や大学での学びが生かされていると感じる部分がありますか。
たくさんあります。専門的な知識を学んで現場に出て実践し、また大学に戻って体系的に学び直して、さらに現場で1つ1つ実感するという立体的で奥深い学び方ができて、とても贅沢だと思います。また座学で学んだ知識はもちろん、私が短大時代に手を動かして学んだことを今でも覚えているように、園児たちにとってもたくさん手を動かして遊びながら学ぶことはかけがえのない経験になるでしょう。
10小島さんの今後の夢を聞かせてください。

学ぶことに終わりはありません。学び続けていきたいです。今もより良い私になるにはどうすればいいかと考えています。この背景には、筑紫女学園時代の仏教教育の影響もあると思います。自分とは何か、突き詰めて考えたり、自分を客観的に観察しようとする習慣ができたのも仏教を学んだからかもしれません。
具体的な今後の夢としては、保育園の職員の皆さんとより良い保育を追求しながら、その職員の働く環境もより良くなるように整えていきたいと思っています。

11最後に、母校や後輩にメッセージをお願いします。
仕事でも若い方と接することが多く、在学生の皆さんのことももちろん心から応援しています。学生時代の思い出というのは、その時は何でもない日常でも後から振り返るときらきらと輝く瞬間の積み重ねです。ふとした心の引っ掛かりが後からどのように生きてくるかも分からないものです。学生時代ならではの心を震わせる体験を大切にして、自分の選んだ道を生きていけば、たとえ思い通りにいかなくてもそれを受け止めて糧にして、次につなげていくことで、自然と良い人生になるんじゃないかなと思います。
また、人との出会いも大切にしてほしいと思います。私は短大時代に大切な友人と出会いました。40年経った今でも連絡を取り合っています。私を理解し支えてくれる、時には衝突もするけれど安心して自分をさらけ出せる最高の友人です。こんな出会いをくれた筑女に心から感謝しています。皆さんにも素敵な出会いがあることを願っています。