No.3
2021.04.01

毎日が楽しかった幼稚園時代。
今は保護者としてあの坂を上り、
子どもたちの笑顔を見守る日々

Profile 松本 瑛理 さん
福岡県スケート連盟
筑紫女学園大学附属幼稚園|1994年卒園
01筑女に入ったきっかけを教えてください。
母がいくつかの幼稚園に連れて行ってくれて、筑紫女学園大学附属幼稚園(以下、筑女幼稚園)を訪れたときに、私が目を輝かせて、「絶対ここに行きたい!」と懇願したそうなんです。母が見てもここがいちばん伸び伸びしていた様子だったので大賛成だったと聞いています。入園後も、毎日元気過ぎて、幼稚園一わんぱくで有名になってしまいました(笑)。お友達とは、たくさん遊んで、笑って泣いて、時にはけんかをしながらも、お友達との関わり方を覚えていきました。
02幼稚園での思い出についてお聞かせください。

子どもが初めて社会と接するのって幼稚園や保育園ですよね。そこからいわゆる社会人になるまでの間に小学校、中高、大学とありましたが、今振り返ってみても「いつに戻りたい?」と聞かれたら、間違いなく幼稚園だと胸を張って言えます。それぐらい私にとって筑女幼稚園はとにかく毎日が楽しくて、かけがえのない思い出が詰まっている場所です。崖を上って遊んだり、崖にある側溝をすべり台にしたり、絵本をたくさん読んでもらったり、何気ない日常の遊びもしっかり記憶に刻まれています。年に数回のスペシャルな思い出もありました。たけのこを掘って、ごはんを炊いて、たけのこパーティーをしたり、野菜を切って豚汁パーティーをしたり、落ち葉で焼き芋を焼いてみんなで食べました。

03幼稚園の頃のことをとてもよく覚えているんですね。
特に忘れられないのは、先生がつくってくださったお遊戯会の衣装です。私は、アイロンを背中に背負ったキャラクターを演じたのですが、ある先生がつくってくださった背中のアイロンがどうしても気に入らなくて「これじゃない!」と強く主張していたらしいんです。それを見ていた裁縫が得意な青沼先生が「私がつくってあげる」と言ってくれて、私はアイロンの出来具合をチェックするために毎日先生のところに見に行っていました。少し進んでは背負わせてくださって「ここをもうちょっとこうして」と一丁前に注文をつけると、私が気に入るまで付き合ってくださいました。今でもその時のことを振り返ると、申し訳ないような、でもとってもうれしい気持ちだったことを思い出します。
04卒園の時は寂しかったのではないですか。

そうなんです。筑女幼稚園では何一つ、押さえつけられることもなく、自由に過ごさせていただいた分、小学校に入ってからが大変だったと母も言っていました。何しろ筑女幼稚園は時間割もない、お昼ごはんも遊びがキリのいいタイミングで食べさせてくださるぐらい、本当に伸び伸びと育てていただいたんです。それが急に規則正しい小学校に入ったからといって、なかなか受け入れられず、「自由だった筑女幼稚園に戻りたい」という気持ちでいたことを今でもはっきりと覚えています。

05楽しかった分、小学校に入る時にギャップがあるんですね。どう乗り越えましたか。
最初は「もっと自由に遊びたい」という戸惑いがありましたが、筑女幼稚園に通っていたことで知的好奇心がくすぐられればさまざまなことを楽しくがんばれるということが自然と身に付いていたんです。なので、初めて教わることばかりの小学校の授業は「新しい知識が入ってくるのが楽しい」と思えて、その日に習ったことや、新しく覚えることに喜びを感じるようになり、幼稚園とのギャップを乗り越えることができました。実は、娘2人も筑女幼稚園に入園させたのですが、長女が小学校に入るときに同じような状況になったんです。それでも新しい知識が入ってくるのが楽しいと思えたようで、今では「今日これを習ったよ~」「朝顔にお花が咲いたよ」等、毎日の出来事を楽しそうに話してくれます。今は次女が幼稚園のお休みの日でも「幼稚園に行く」というほどの幼稚園好きなので、おそらく同じ道を歩むのでしょうね(笑)。
06今は親御さんとして筑女幼稚園と関わりを持ってくださっているんですね。

幼稚園の頃、筑女大好きだったので、卒園したばかりの頃から「将来お母さんになったら子どもを筑女に入れる!」と心に決めていたんです。小学生からの夢が叶いましたね。うちの母親も言っていましたが、筑女幼稚園はママ友同士もとっても仲が良いんです。母親の世代はSNSもスマホもありませんでしたが、今でも年賀状のやりとりを続けているようで、ずいぶん支えられてきたと聞いています。私も子育てに仕事にとがんばるママ友の皆さんから良い刺激をいただいています。それから、保護者の立場として、子どもたちの夏祭りの企画委員会など、運営側にも関わらせてもらう機会があったんです。ここでもいろんな経験ができて、ますます筑女幼稚園が好きになりました。大人になっても筑女幼稚園で学びの機会を得られるなんて感慨深かったですね。

07大人になっても感じられる筑女幼稚園らしい学びがありましたか。
保護者として見て改めて、筑女幼稚園の先生方がいかに子どもたちのことを見てくださっているかということを実感しました。子どもたちのちょっとした変化にも目を配ってくれるんです。例えば、うちの子の話になりますが、お弁当のごはんをいつも残して帰ってくる娘のことを見てくださっていて、幼稚園でごはんを小さくおにぎりにしてくださったんです。そしたら食べられるようになったと報告をしてくださいました。また、卒園前には先生が「小学校に上がって寂しくなったらこれを見てがんばってね」と小学校がバラバラになる仲良しのお友達との写真で作ったお守りをプレゼントしてくださいました。一人一人にきちんと関わってくださる姿勢にいつも頭が下がります。
08これからもお子さんを通じて筑女幼稚園と長い付き合いになりそうですね

本当ですね。筑女幼稚園といえば、坂を上って登園しますが、以前は母に手を引かれて通っていた道を、今は娘と上れることがとてもうれしいです。子どもたちと一緒に竹馬をつくって、最初はよちよちだった子どもたちが練習を重ねて、どんどん歩けるように成長する姿に感動させてもらったり、今もたくさんのことを教えられています。自然に触れながら命の大切さを学んで、何にでも挑戦する強い心と周りに感謝をする優しい心が育つのも筑女ならでは。わが家でも娘が毎日新しい園歌を口ずさんでいます。私は小学校1年生から大学卒業までフィギュアスケートの選手として活動し、国民体育大会にも出場しました。今は県のスケート連盟に関わり、審判をしたり、選手の育成に関わったりしています。こうして1つの道でずっとがんばり続ける馬力が付いたのも、幼稚園で伸び伸び好きなことをさせてもらったおかげだと思います。娘たちにも好きなことに全力で打ち込んでほしいと願っています。

09最後に母校にメッセージをお願いします。
私の大好きな筑女幼稚園も2021年に50年目を迎えます。2代にわたって通えて、記念すべきタイミングにこうしてお祝いを伝えることができて光栄です。時代とともに、さまざまなことが変化していきますが、筑女幼稚園らしさは変わらないでほしいです。自然豊かな場所で伸び伸び遊んで、たくさん笑って、御仏さまの教えに触れて、感謝の気持ちが育つこの園ならではの魅力はそのままに、100年も200年も続いてくれたらいいなと思います。