今月のことば

2018年のことば

2018.02

   今月のことばは、『大般(だいはつ)涅槃経(ねはんぎょう)』という経典の言葉で『涅槃経』は、お釈迦様が入滅(涅槃)に入られたことを記される中でその意義について述べられた経典です。そして、この『大般涅槃経』の言葉は、以下の話として伝えられた言葉です。

    ある家に、一人の美しい女性が、着飾って訪ねて来た。その家の主人が、「どなたでしょうか。」と尋ねるとその女性は、「私は人に幸福を与える福の神である。」と答えた。主人は喜んで、その女性を家に上げ手厚くもてなした。
 するとすぐ後から、粗末なみなりをした女性が入ってきた。主人がだれであるかと尋ねると、貧乏神であると答えた。主人は驚いてその女性を追い出そうとした。するとその女性は、「先ほどの福の神は私の姉である。私たち姉妹はいつも離れた事はないのであるから、私を追い出せば姉もいないことになるのだ。」と主人に告げ、彼女が去るとやはり美しい福の神の姿も消えうせた。
 生あれば死があり幸いがあれば災いがある。善い事があれば悪い事がある。人はこのことを知らなければならない。愚かな者はただいたずらに、災いをきらって幸いだけを求めるが、道を求める者は、この二つともに越えて、そのいずれにも執着 してはならない。

                                                                  『仏教聖典』(仏教伝道教会編)

このお話の主人の姿を考えてみると、良いことだけを受け入れて、自分の都合の悪いものは退けようとする計らった考え方をしていますが、まさにこれは私自身の姿のように思えてきます。日々の生活の中で誰もが、善いことだけを望み、幸せだけがあってほしいと願うものです。しかし、人生を歩んでいく上には善いことや楽しいことだけではなく、悲しいことや困難な出来事にも出遇っていかなければならないのが人生という歩みです。そして、何故お釈迦様が亡くなられる「涅槃」ということにかけてこのお話が説かれたのかということを考えてみると、私たちは生きること、幸せになることだけに目を向けてしまい、死ぬことや災いということにはどちらといえば目を背けてしまいがちであるからではないかと思います。お釈迦様は、「すべてのものごとは、縁によって起こり、縁によって滅する」とお説きになりました。この世界は、すべて因縁(因=直接原因・縁=条件)によって起こっていることであり、私たちが生まれて生きることも、因縁あってのことであり、そして私たちが死を迎えるということも因縁あってのことであり、その因縁は、私たちの都合という計らいを越えたものであり、それを受け入れていく生き方を大切にしなければならないということです。お釈迦様のこの『涅槃経』の言葉は、頭では理解できても、それを実践していこうと思うと、とても難しいものですが、私たちの都合という計らいの生き方を少しでも見つめ直すきっかけにしてみてはどうでしょうか。                                                                                                         

                               (文責 宗教科)