今月のことば

2017年のことば

2017.11

 校訓のひとつの「感恩」。皆さんはこの言葉をどのように受け止められるでしょうか。
毎日目にしていても、この言葉について毎日考えている人は少ないのかもしれません。今回の「今月のことば」を通して、「恩」についてあらためて考えてみましょう。

 以前、中学生に“何に、またどんなときに「恩」を感じるか”を書いてもらったことがあります。皆さんが実に多くのものに、またあらゆるときに恩を感じていることがわかりました。最も多かったのは両親をはじめとする家族でした。また友人や先輩・先生、日常生活を支える仕事をしている方など様々な人が挙げられていました。「人」以外にも、自分のいのちを支えている動物・生き物や、生活を共にするペット、自然環境や宇宙、地球を書いた人もいます。“どんなときに恩を感じるか”では、案外多かったのが“毎日のあたりまえの出来事”というものでした。立ち止まってよく考えてみれば、身近な人やものにどれだけ多くの恩恵を受けているかが感じ取れるのだと思います。

 私たちは「受けた恩は返さなければならない」と教えられてきましたし、よく耳にもします。木下順二という人が書いた『夕鶴』という戯曲は、かつて中学や高校の教科書に多く掲載され、数ヶ国語にも翻訳され、多くの人に感動を与えました。この戯曲は誰もが知っている民話「鶴の恩返し」に題材を得たものです。最近では「猫の恩返し」も有名ですが、これらの話は、「恩返し」が大切であることは知りながらも、自分にはできていないという後ろめたさや、ましてや動物が受けた恩を忘れずに身を削って恩返しをしているということに対する驚きが、私たちに感動を与えているのではないかと思います。

 お経には「知恩報恩の者、人中の珍宝となす」、「知恩報恩は、これ菩薩行」(『宝積経(ほうしゃくきょう)』)などと説いています。「知恩」とは「クリタジュニャ」というインドの言葉を訳したもので、直訳すると「為されたことを知る」という意味になります。私たちは直接・間接に、気づくと気づかざるとに関わらず、無数の恩恵の中に生かされている、そのことを知ることの難しさと尊さが、お経のなかに説かれているのだと思います。私たちが今までに受けてきた無数の恩恵を思うとき、それをお返しするというのは大変難しいことに思えます。もし“恩返しはできている”と思うのであれば、それは大変な「思い上がり」であり傲慢(ごうまん)な考えではないでしょうか。

 親鸞聖人の“如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も 骨を砕きても 謝すべし”の和讃を口にしつつ、自分が受けてきた恩に対して、どのように自分なりに言葉や行動で「謝す」ことができるのか、この機会に考えてみましょう。

 

(文責:宗教科)