今月のことば

2017年のことば

2017.02

 仏教の開祖釈尊は、2月15日に御年80歳で涅槃(ねはん)に入られた(お亡くなりになった)と伝えられていますが、亡くなる直前になされた説法の一つが「自灯明(じとうみょう)・法灯明(ほうとうみょう)」です。

 釈尊の身体を心配する弟子達が、「釈尊亡き後、私たちは何をたよりにして生きていけばいいのですか」と尋ねます。その時に「自分自らを灯明とし、法を灯明として、他に帰依してはならない」とおさとしになりました。

 法(仏教の教え)をよりどころとするのはよく分かります。「教えに従って、教えを信じて生きていきなさい。」ということです。では、「自分を灯明とする」とはどういうことでしょうか。自分の何をよりどころにして生きなさいとおっしゃったのでしょうか。

 思うに「私」という人間は外面的なものと内面的なものに分けられます。他者から見た「私」は、先生であるとか、生徒であるとか、医者、タクシーの運転手など、肩書きや職業で判断されます。しかし内面は見えません。釈尊はその見えない内面、「素(す)」の「私」、言い換えれば「こころ」をよりどころにしなさいと言われたのです。しかし「こころ」がよごれていてはたよりになりません。ですから「こころ」を教えによって見つめ、磨いていきなさいと伝えられたのでしょう。

 私たちは外面を磨くこと(地位や名誉を手に入れること)ばかりにとらわれて、内面を磨くことをついおろそかにしがちです。磨くためにはまず、正しいもの(教え)から自分を照らしてみることが必要です。だから私たちは釈尊の教えや生き方に学ぶのです。そしてよごれていたり、ゆがんでいたりすることがわかったら、そこを正していこうとすることが大切なのです。

 そして、「正していこう」とするところに謙虚さがでてきます。自分に謙虚であれば、他者に対しても謙虚に接することができます。そこに横のつながりも出てくると思います。釈尊も親鸞聖人もそこを一番大切にされた方です。

 みなさんは「せっかく」仏教に出遇いました。そして正しいみ法(のり)によって自分のこころを振り返ることができる時間が、学校生活の中で設けられています。大切にしたい時間ですね。

 

(文責:宗教科)