今月のことば

2017年のことば

2017.05

 5月に入り「さわやかな風かおる季節」といわれるように、暖かくなって新緑の木々や虫たちのいのちの息吹を感じる時節です。

 さて、聖句の「拝まない」とは私たちの態度であり、「拝まれている」のも私たちです。そして「拝んでくれている」のは仏様です。

 俗に「困ったときの神頼み」と言われるように、私たちはこちら側の都合で神仏を頼み、かなえられないとなると「神も仏もあるものか」と愚痴をこぼします。その心中には自己中心の欲望があり、その欲望に神仏の働きを合わせようとする「わがまま」な態度が見えます。

 それに対し仏様は「いつでも、どこでも、だれにでも」慈悲の心をそそいで、私たちを見守り、育み、真実の世界へ導こうと働きかけておられるのです。その限りない慈しみの心に気付き、出遇うとき、わが身の自己中心の煩悩が明らかになり、反省させられます。さらには自分のいのちが様々なものに支えられていることに目覚め、敬虔な気持ちで仏様の前にぬかづくことができるでしょう。

 「いつでも、どこでも、だれにでも」開かれているのが普遍宗教の特徴であり、「すべてのものが支え合って生きているのだから、皆と手を取り合って生きていこう。そのためにまず自分ができることは何だろう」と真実の世界への促しがあるのが本当の教えです。

 今の世の中を見てみると、他を顧みないで平気で人を傷つけたり、自分が儲かるために他をだまして犠牲にするような事象が毎日のように記事になっています。仏教ではそれを「無明の闇(むみょうのやみ)」と言います。仏様の光明はそのような行為が愚かなことであると知らせ、その闇を打ち破り、「本当の生き方に目覚めなさい」と促し続けてくれています。報恩講の歌に「和歌の浦曲の方男波の 寄せかけ寄せかけ 帰るごとく」とあるように、その光明は、いつでも休みなく私たちに向けてとどけられているのです。気付いていきたいものです。

 

(文責:宗教科)