今月のことば

2020年のことば

2020.1

新しい年を迎えました。2020年が皆さんにとって充実した年になるよう念じています。

 今回は、今月のことばの中の「アミダ」について説明したいと思います。以前、学校説明会のとき、講堂に入るなり大きい声で、“神様がいるー”と叫んだ中学生がいました。仏様と神様の違いを知らない人が、世間には多いように思います。皆さんはよく知っていると思いますが、講堂のご本尊は「阿弥陀仏」または「阿弥陀如来」と言います。もちろん、「阿弥陀仏」は天地創造の神様でも、人間の欲望をかなえる神様でもありません。      

上には「阿弥陀」を「アミダ」とカタカナで書いていますが、元々はインドの言葉の「a-mita」を漢字に音写したものです。英語では「un-meter」ですが、「量ることができない」という意味で、「無量」とも訳されます。更に「阿弥陀仏(如来)」という場合には、「āyus」と「ābha」という言葉がくっついて「アミターユスブッダ・アミターバブッダ」が正確な原語です。「āyus」は「光」という意味で、「ābha」は「寿(いのち)」という意味ですから、「無量光仏」とも「無量寿仏」とも訳されています。もう少し説明しますと、「無量」とは“量りしれない”(時間や空間に制限されることがない)ということで、「光」と「いのち」とは“はたらき”のことです。「光」や「いのち」は直接的に見ることはできませんが、闇を照らしたり、生き物を育んだりする、その「はたらき」によって存在を知ることができます。「阿弥陀仏(如来)」も、私を照らし育む「はたらき」ですが、「はたらき」そのものは目に見えませんので、その存在を示す手立てとして講堂にある「仏像」で表現されたり、「南無阿弥陀仏」という言葉で表されたりします。

 「南無阿弥陀仏」を「名号(みょうごう)」とも申しますが、親鸞聖人は“「南無阿弥陀仏」は「如来」(真実からのはたらきかけ)のよびかけの声ですよ”と言われました。苦しみ悩んでいる私を“絶対に見捨てることはしない”という「よび声」です。

 人間は理想や願望などの「思い」をもって生きていますが、その「思い」と「現実(事実)」とのズレによって悩んだり苦しんだりしています。私の「思い」は、“ずっと健康で、経済的に困らず、家族や友人に恵まれて生きていく”はずですが、現実はどうなるかわかりません。その「思い」と「現実」とのズレが大きいほど、悩みや苦しみも大きくなります。お釈迦様は“人生は思い通りにはならない”といわれましたが、それが真実です。

およそ600万人ものユダヤ人が虐殺されたと言われるホロコースト(ナチスによるユダヤ人迫害)で、アウシュビッツ収容所に収容され、迫害を生き抜いた精神科医のフランクルは、『それでも人生にイエスという』という講演集の中で、“自分に与えられた苦悩を引き受けるという態度によって、人生が意味あるものとなる。”と言っています。

「アミダ」の「はたらき」は、生きとし生けるものを平等に照らし、育みます。すべての存在を否定することがありません。「南無阿弥陀仏」のよび声にうなずくとき、私の人生に「イエス」と言えるのではないでしょうか。           

文責 宗教科