今月のことば

2016年のことば

2016.06

 6月になりました。6月は中旬に「梅雨」入りし、下旬には1年でもっとも昼間が長い「夏至」がやってきます。梅雨の雨にぬれた草花はどれもキラキラして輝いて見えます。

 ところで、お釈迦様がお生まれになったインドでも「雨期」があります。その「雨期」の前が「乾期」ですから、雨期になると雨を待ち望んだ草花や虫たちが喜んで生き生きと活動し始めます。そこで、お釈迦様の教団では、「安居(あんご)」という行事を取り決められました。せっかく活動をはじめた生きものたちを傷つけたり、踏みつけたりしないように、この季節は、外に出歩くことをやめて、精舎(お寺)の中で仏道修行にはげむというものです。

 お釈迦様はお生まれになったときに「天にも地にもわれひとり尊し(天上天下唯我独尊)」と叫ばれたという伝説があります。この伝説の真偽はともかくとして、「今、ここに存在するいのちが、かけがえのないものであり、一つひとつ全て尊いのだ」という意味の言葉です。

 仏教では、一つひとつの「いのち」は全て「尊い」ものであると説かれています。それは、私の「いのち」が様々なものの「いのち」によって生かされていること、そして「いのち」は唯一性(「同じものは一つもない」)を持った存在だから、かけがえのないものであるのだということです。そこには尊さの条件はありません。「よい成績だから」とか「運動ができる」とか「美しい花だから」という条件なしで、「そこに存在することが尊い」のです。全ての「いのち」一つひとつがかけがえのないものであるから、全ての「いのち」に慈しみの心をもつように説かれます。

 聖句に「自分の愛しさを知るものは、他のものを害してはならぬ」とあります。
 今の世の中を見てみると、自分が愛しいあまり、他を傷つけ、争いを起こしたりしています。また、尊さにあらゆる条件を付け、優劣を決めたりします。今一度私の「ものを見る物差し」を点検して、「同じものは一つもない」という視点に立ってものを見てみましょう。全ての「いのち」が光輝いて見えるのではないでしょうか。

 

(文責:宗教科)