今月のことば

2016年のことば

2016.08

 「衆生にかけられた大悲」とは、阿弥陀如来が生きとし生けるものすべてに願いをかけてくださっている、その慈悲のこころです。阿弥陀如来は煩悩にまみれた私たち衆生を救うために四十八の願(がん)を建てられました。その十八番目の願を「本願」といいます。この願の中に阿弥陀如来の本意が説かれています。そこには「十方の生きとし生けるすべてのものを必ず救いとります。」とあります。また、「無倦」とは「途中でいやにならずやり続けること」です。すなわち、「阿弥陀如来の『私たちを救わずにはいられない』と言う願いがやむことはありません」という意味です。

 「子の罪を親こそ憎め 憎めども 捨てぬは親の情けなりけり(利井鮮明和上)」という歌があります。
 よくテレビで、子どもの不祥事を涙ながらに謝罪しているシーンをよく見かけます。私たちは、無数の煩悩に突き動かされながら生活をしています。そして、煩悩ゆえに、時には道を誤ったり、まわりの人を傷つけてしまいます。そんな私たちを常に見捨てず、見守り続けるのが親というものです。しかしながら、親が見守り続けるのは我が子だけです。けれども、すべてのいのちあるものを、親が我が子を見守り続けるように見守り、願い続ける存在があります。それが阿弥陀如来です。

 私たちは、親の思い・願いになかなか気づかないように、阿弥陀如来の願いにも気づかないまま、日々の生活を送っています。私たちは、いついかなる時でも一人ではありません。いつでもどこでも見守られ、願われ、その中で生かされています。その事に早く気づき、自分を見守るすべてに報いる生活を送らせていただきたいものです。

 

(文責:宗教科)