今月のことば

2019年のことば

2019.12

さて、2019年も終わりに近づきました。どのような一年でしたか?

   中には「あの時に戻ってやり直したい」という思いを抱えている人もいるかもしれません。ですが、やり直しのきかないのが人生の事実です。ただし、見直すことはできると金子大栄氏は語りかけます。

   私が出遇った田口弘願さん(1961-2017)という全盲の僧侶の生き様を通して、言葉の意味を考えたいと思います。田口氏は生まれた時から弱視で、徐々に目が見えなくなっていく病気でした。小・中学校では猛烈ないじめにあいました。彼は「僕は体力や腕力では勝てない、勉強でいじめた相手を見返す」と誓ったそうです。彼は必死に努力し、いじめた人達よりも学力の高い高校に入学し「いじめた相手に勝った」と思いました。しかし、彼の入学した高校は有名な進学校で、弱視の彼は勉強についていけなくなってしまいました。視力もさらに低下していき、落ちこぼれた田口さんは、誰からも相手にされなくなった気がして自分の人生に絶望したそうです。「今までは努力すれば勝てた、誰にも勝てないのだったら生きていても意味がない…」そう思っていた高校生の田口さんが出遇ったのが長川一雄 先生という浄土真宗大谷派の僧侶でした。

   田口さんは「僕はなんでよりによって目が見えない人間なんだ、もうつらいから死にたい」と漏らしたそうです。長川先生はこう言いました「君の考え方は寂(さみ)しい。君は目が見えなくてつらいと言っているが、目の見えない人のことを強く差別しているんじゃないか?目が見えなければ世間の競争では不利でしょう。しかし君は勝つために生まれてきたのではない。負けて一生ひがんで生きるために生まれてきたのでもない。勝とうが負けようが生きることを願われているんでしょう」。田口さんは長川氏の言葉に、目が見えなければ人生負けだ・価値がないんだと考えて願いを受け止められなくなっていた自身の問題に気づいたそうです。

   そのとき初めて、「目が見えないままに深く自分の人生を頂いていこう、生きていこう」と思えたのです。「目が見えないことを大切な人生経験の一つとして考えられるようになったとき、生きるのが少し楽になった」こう田口さんは話していました。田口さんの苦しみの根本原因は、いのちを自分の持ちものとし、思い通りにしようとして思い通りにならなければ自分すらも粗末にするような生き方をしていたことだったのです。田口さんの目に光が戻ることはありませんでした。この事実は変わりませんでしたが、仏様の眼を通していのちの受け止め方を見直したのです。障害にかかわらずいのちを精一杯生きようと決め、仏様の教えを仰いで生きていかれました。

    「どのようなあなたも見捨てない」というのが仏様からの呼びかけです。仏様の教えに照らされることで、思い通りにならない人生の中で、悲しいことも苦しいことも、嫌なことも、ご縁として受けとめる力、「人生を見直す」勇気を私たちは賜(たまわ)ることができるのだと思います。

(文責 宗教科)