今月のことば

2019年のことば

2019.11

    維摩経(ゆいまきょう)は聖徳太子が日本に紹介した仏典で、病気になった在家仏教信者維摩と、彼を見舞った文殊菩薩(もんじゅぼさつ)との対話を通して、「縁起」や「空(くう)」などの大乗仏教の鍵となる概念をめぐる考察が展開されている経典です。

    経典の中で、維摩は「ものごとの本当の姿を理解できないということ(痴(ち))と、自分でもコントロール出来ないほど次から次へと貪(むさぼ)る心(有(う)愛(あい)・貪欲(とんよく))が原因で私は病気になってしまいました。これは誰もが罹(かか)る病です。もし、すべての人がこの病気に罹らないでいられるならば、その時こそ私の病気も完治するでしょう」と言っています。この(痴)(貪欲(とんよく))に怒り(瞋恚(しんに))を加えて、克服すべき3つの煩悩を「三毒の煩悩」と呼んでいます。

    大乗仏教には菩薩と呼ばれる存在があります。菩薩とは、三毒の煩悩に苦しむすべての生きとし生けるものを救うためにこの世俗社会に姿をあらわしたもので、すべての人々が苦しみ悲しむ時、菩薩も人々のことを考え苦しみ悲しむのです。家の子どもが深く思い悩んでいると、両親も心配して思い悩んでしまうこともあるでしょう。でも子どもの心が晴れると両親の心も晴れ、心の病気も治ります。この世の人々を自分の子どものように愛するのが「菩薩道」です。つまり、維摩の病は大悲(限りない広大な慈悲=すべての人々の苦しみ悲しみを我が苦しみ悲しみとする)から起こるのであり、この言葉の中で、信者の歩むべき道、そして菩薩のあるべき姿を説き聞かせようとしたのです。

    私たちは、自己中心的な心のために、様々な悩みや苦しみを背負って生きています。この自己中心的な心を少なくする努力を重ね、他者の痛みや喜びを自分のこととして考え行動できるよう心がけていければ、私たちは自分という殻を破り、穏やかで平和な世界をつくることができます。自分の常日頃を振り返り、その中で大乗仏教の菩薩道的な生き方を考えて見ましょう。それこそが、本校の建学の精神が目指すものでもあるのです。

(文責:宗教科)