今月のことば
2019年のことば
2019.10
私たち人間の「ものさし」は、ものの価値を比較して決めるようにいつの間にかなってしまっています。
比較の「ものさし」は
「美味しい・まずい」「長い・短い」「高い・低い」「賢い・賢くない」
「上手・下手」「きれい・きたない」「重い・軽い」「金持ち・貧乏」
などなど、挙げればキリがありません。
さて、私たちはこの「ものさし」をよくよく点検しているでしょうか。例えば「美味しい・まずい」は人の好みの問題だと思いますが、多数が「美味しい」といえば「美味しい」となり、値段が高いものが「美味しい」と決めつけたりします。また、テストの成績で考えてみると、同じ点数でも「誰々さんよりよかった」と喜んだと思えば、でも「誰々さんには負けた」と悲しくなったりします。このように、比較する対象によって変わる「あやふや」さが比較のものさしにはつきまといます。でもテストで大切な価値は、しっかり努力して、どれくらい学力が身についたのか、間違えたところを次にどう生かすかだろうと思います。
確かに、比較することによって自分の目標にしたり、「頑張る力」にすることは悪いことではありません。「下手」だと思って「上手」になろうとすることは大切です。
しかしながら、なんでも、ものの価値を比較して決めてしまうと「ものそのものの価値」を見失ってしまうことがあります。ですから仏教では比較するのではなく、ものそのものをあるがままにとらえるという「無分別智(むふんべっち)」を説きます。「分別」とは比較です。「無分別」の智慧を通してものをみてみると、それぞれのものの“あるがまま”の価値を大切にできるのです。
「日本では おにぎり一つと 粗末にし
インドでは おにぎり一つこそと 手を合わす
どちらが 幸せだろうか」
という詩がありますが、比較して「インドの方が幸せだ」という詩ではありません。日本では、「おにぎり一つ」のそのものの価値を忘れていませんか?という詩です。
比較することばかりの世の中にあって、それぞれの価値を大切にしたいものです。
(文責 宗教科)