今月のことば

2019年のことば

2019.07

    仏教では、「慢」といわれる煩悩(=自分をわずらわせ悩ませる心、自己中心の欲望の心)があるといわれます。他と比較し自分を高しとして傲慢になる心のことです。ところで、「負けている」と感じ自己を貶め卑下することも「慢」の一つと教えられています。卑下慢といいます。他者を下に見る傲慢な心が良くないのは理解できますが、自分を卑下する心がどうして慢心なのでしょうか?

 吉野弘という詩人がいます。子供が生まれた時、次のような詩をつくって贈ったそうです。

「ひとが ひとでなくなるのは 自分を愛することをやめるときだ。自分を愛することをやめるとき ひとは 他人を愛することをやめ 世界を見失ってしまう。自分があるとき他人があり 世界がある」

(吉野弘「奈々子に」『贈るうた』より抜粋)

 愛するというという事は、自分を本当に尊重するということです。私たちは上手くいかないことがあると、「私なんかどうしようもない」と自らを卑下したり、反対に傲慢になったりするときがあります。そういうときは、人を愛することもできないと吉野さんは言います。自分を大切にすること、自分を見くびらないこと。そうするとはじめて人も見えてくる。吉野さんは、自分の生まれたばかりの娘さんに、自分を愛するという事だけは続けてほしいと呼びかけられたのです。

   慢の問題は、自分の今までの人生経験の中だけで作りあげた価値観のモノサシで、人間の価値を判断してしまっていることにあるのではないでしょうか。                                                

   仏さまの教えによれば、人間はより優れた能力をもっているから立派だということはないのです。持ち物や、何ができる・何ができないによって人間の価値は決まらないのです。「あなたは、だれとも比べることのできない尊い存在なのです」ということが仏さまからの呼びかけです。

    なぜこの世に、いま私が生まれてきたのか。考えると不思議です。自分の思いを超えたような不思議ないのちを生きているのです。

   人間は偉いものではありません。しかし、迷い、悲しみ、時に孤独(こどく)の中で自分と向き合い、仏さまの言葉を聴くことが起こるのもまた人間の身においてなのです。そうした人間という存在を仏教では「尊い」と押さえているのです。比較することはやめられないかもしれません。しかしそれをそれぞれがもっている個性と認め、尊重する方向に変えていくことが大切なのではないでしょうか。                             

(文責 宗教科)