今月のことば

2016年のことば

2016.04

 新入生のみなさん、入学おめでとうございます。また、在校生のみなさんも気持ちも新たに新年度を迎えていることでしょう。新たな環境での出遇いを大切にして、頑張っていきましょう。

 私たちは、ひとつの“ことば”の出遇いよって勇気づけられたり励まされたりしながら、人間関係を築き成長していきます。そして、生きていく中では、楽しく幸せなことだけではなく、苦しくて悲しい事にもたくさん出遇っていかなければなりません。皆さんが学校生活を送る中で、手帳にある“今月のことば”がひとりひとりのこころの支えとなってくれることを願っています。

 4月は“出遇いの月”とも言われますが、私自身(自分自身)に遇うとはどういう意味でしょうか。それは、校訓の“自律”にある「自分自身を見つめ、自己中心的なありかたの過ちに気づかされ“さまざまな恵みによって生かされている”自分に目覚める」ということに基本があります。

 そして、“自分”ということを考える手がかりとして、お釈迦様の弟子のケーマ(女性の出家者)の花の香りに譬(たと)えられた話があります。
 「もし人あって、弁に香りがあるといったら、正しいだろうか。また、茎に香りがあるといったら、正しいだろうか。あるいは、蕋(しべ)に香りがあるといっても正しくないだろう。それは、やはり、花に香りがあるといわねばなるまい。それとおなじように、肉体が我であると考えてはならない。感覚や意識が我であるといってもあたらない。(中略)わたしは、それらの統一態において〈我あり〉というのである。」

(『雑阿含経』五、一)


 この譬えは、花の香りが弁や茎や蕋のどれが匂うのかと考えると、花そのものに香りがあるというように、“自分(我)”というものも身体を構成している様々なはたらきや様々ないのちの恵みによって支えられていることすべてを含めて“自分(我)”であると述べています。そして、その様々な関係性によって成立していることをお釈迦様は“縁起”とお示し下さいました。しかし、私たちは親から授かったはずの“いのち”をいつの間にか“我がもの”と考え、それを“自分”だと思い込み、自己中心の考え方で生きていないでしょうか。

 校訓の“自律”や花の香りの譬えは、私たちが“我がもの“と思い込んでいる“自分”が本当の“自分”ではなく、様々な縁によって成り立っている本当の“自分”に出遇ってほしいことを示されています。

 新学期が始まり、改めて今月のことばを通して本当の“自分”に出遇うということを考えてみましょう。

 

(文責:宗教科)